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斉藤由貴を歌う4歳児

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結月です。

コンサートは来年の春にはやれそうな気がする。

なんて思いつつ、やるならどこのホールがいいか下調べしたりし始めてる。ただ集客に半年はかけたいことを考えると、来年の春にはオッケーでも集客期間がちょっとビミョーだったりする。

コロナのことはある程度予測できるとはいえ、社会の空気の変化はウイルスとは別に予測が立てにくい。数年以上の大きなスパンなら読めるけれど、数ヶ月単位となるとさすがにわからない。

やっぱりスッキリした状態でやりたいからね。と思うと、焦らずもう少し様子見。どちらにせよ、演奏者のスケジュールとホールのスケジュールをドンピシャに合わせなきゃならないから、自分の思い通りにはいかないものだけれど。

と、タイミングはまだはっきりしないとはいえ、演出プランなどは結構できあがってる。タイトルも決まってるし、ポスターのイメージもできている。

「早くやりたいよねっ!」

と、胸が高まりつつ、悠々と急ごう。

さて、毎年言ってるような気がするのはもう4月になって、つまりこの一年の4分の1は終わったってこと。

コロナによるブレーキはあるとはいえ、この4分の1で自分はどれだけ進化しただろう? あまり実感はないけれど、個人的には大きな発見があってそれによって今後が変わるという確信はある。

一方、うちの4歳児は保育園で靴を履き替えながら、斉藤由貴の「悲しみよこんにちは」を口づさんでいる。

YouTubeで何度も聞いたとはいえ、その歌詞のほとんどを口づさんでいてわたしはちょっとビビった。

4歳児にとっては難しいはずの言葉の言い回しをよく覚えている。しかも音程も合っとるやないか。

ちなみにわたしは歌詞がまるで覚えられない人間で、音はすぐ覚えても歌詞がダメ。歌を音として聞いているからだろう。

というわけで、「悲しみよこんにちは」は4歳児以上に回数的には聞いているはずも最初のフレーズをかろうじて覚えているくらい。それも4歳児に教えられて覚えた。

東京から栃木に来て愛娘と過ごすようになり、言葉は徹底的に教えている。そのせいなのだろうか、詩的な歌詞を覚えてしまっている姿に、

「もしかして抜かれるかもしれん…」

と、些か危機感を覚えた。

愛娘に抜かされることは腹立たしいことでもなく歓迎しているとはいえ、やっぱり悔しい。そのうち、

「こいつ、やるな…」

と思うような日本語表現をされると、多分悔しい。

でも同時に自分にない感覚を持っている人は尊敬したくなるから、やっぱり喜ばしい。

と、複雑な気持ちを抱えつつ、斉藤由貴の歌詞を覚えることについては抜かれている。

もし高校生くらいになって、

「ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』ってこうじゃない?」

なんて言われたらどうしよう。

クソー!悔しい! いやいや、わたしはオスカー・ワイルドの『サロメ』については絶対に負けん! サロメで切り替えそう!という接点のない負けず嫌いな主張。

と、アホなことを言いつつ、そんなことを張り合ってもしょーがない。それにわたしはこう見えても結構謙虚なんだ。自分にない感性に対しては謙虚で、しかも敬愛の心がある。

とまあ、今年の4分の1はわたしは目立った進歩がないように見えるのに今年4歳になった愛娘は明らかな進歩を成し遂げている。

もう油断できない。これだけは絶対に負けないというものがないと、親なんて子から馬鹿にされる。

そういう意味でも最新の哲学、マルクス・ガブリエルの新実在論を読むよ。

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