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権利に過敏になっても幸せにはならないかも。

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結月でございます。

今はジェンダーの問題であったり、女性蔑視がどうとかってトレンド。女性の権利向上の傾向というより、女をどうこう言うことが腫れ物にさわるみたいになってきたけど、う〜ん、それってどうかな、とわたしは思う。

先日、YouTubeで80年代のコカコーラのCM、

「はじめてじゃな〜いのさ〜」

っていうのを見てしまって、ちょっと懐かしかったんだけど、当時、あのCMはカッコよさの憧れと同時にクサすぎてアホかっていう見方もあった。それくらい嘘くさい演出で、徹底的に妄想にしてしまうのがCMだというハシリだね、あれは。

とは言え、80年代はやっぱり元気のある時代で、男も女もみんな生き生きと描かれているし、楽しそう。

確かにわたしの80年代を思い出すと、やたらと楽しかった印象がある。

しかしながら、いいことばかりかと言えばもちろんそうじゃない。でも、社会全体が平均的に楽しかった。そんな気はする。

コカコーラのCMに登場する女も楽しそうで、それが憧れにもなった。その当時は今よりも日本的男尊女卑は普通だったし、女の権利なんていう概念がなかったし問題にもならなかった。

権利的には今のほうがずっと女の地位は向上しているし、デブキャラだったはずのタレントをブタ演出する冗談を言えば大騒ぎになるほどまで敏感になっている。

80年代なら絶対に問題にならなかった。それが今は問題になる。

そこで思うのは、女性の権利云々に敏感な今のほうが明らかに女は不幸そうだということ。80年代の頃のほうが女は笑顔だったし、エネルギッシュだったんじゃないか。

要するに経済が強く、右肩上がりであること。そこが大事で、概念的に権利が言われるようになっても肝心の経済が悪いとヒステリックになるばかりで権利が確保されるわりには幸せそうな顔になれないという事実。

だったら、権利どうこうという面倒なことはなくていいから、80年代的に楽しいほうがいいよなんて思っちゃう。

そしてさらに重大なことがある。

今はちょっとしたことでも女性蔑視だと言われて、一見、女性が守られているように見えるけれど、わたしの感覚では80年代の頃のほうがある意味、女は大事にされていた。

もちろん家庭内での亭主関白とか、賃金格差や会社での扱われ方は今のほうが女性はいい地位にいる。でも、80年代から時代が進むにつれて、例えばバラエティー番組でも女が変顔をさせられたりと女の気品を奪うことが芸になった。

そういうのが出てきた当初は、

「女にそんなことさせるの、ひどいんじゃない?」

というモラルというか、女性擁護というか、女を汚すことに躊躇いがあった。ところが今はそういう意識はほとんどなくなり、女を大事にしないことはテレビだけでなく、日常になった。それに伴って、女のほうも汚い言葉を平気で使うようになった。80年代は女が汚い言葉で罵声を発したりということはあまりなかった。少なくとも女が「ふざけんじゃねーぞ」なんてことは言わなかった。女はもっと上品だった。女に恥じらいがあった。

問題になってしまった渡辺直美も80年代的に見れば、あり得ない芸風であり、自分の肥満を売りにすることは80年代には考えられなかったし、それが今はまかり通るのは少しずつ女が変顔を強要されることが認められ、そこに呼応する女タレントがいて、社会の中で女の上品さみたいなものが失われていったからこそ、渡辺直美が活躍できる逆説がある。

おそらく女が恥じらいを捨て始めたのが90年代で、芸能人から始まり、それが支持されて一般化されていく。

つまり、今は恥じらいがないことがいいような傾向にあって、だから女は乱暴になったとも言えるし、恥じらいという抑圧から解放されたとも言える。

きっと恥じらいから解放されたが故に素の状態としての女の権利が言われ出している。

本来の意味、自然的な権利の意味と社会の変化がうまく合致できていなくて、浅はかな権利主張がヒステリックになっている様相がある。

明らかに渡辺直美は80年代にはあった女の恥じらいを脱ぎ捨てた芸風であることは間違いなく、そこに運悪く女性蔑視というトレンドに巻き込まれてしまった。

時代の進行だから、何が正しくて何が間違いなのかはわからない。フェミニズム的には女の恥じらいがなくなったことで女は自由になれると考えるであろうけれど、そうなった時代に女が幸福であるか、幸せそうであるかを考えると、どうもそうには見えない。少なくともフェミニズム的には問題ばかりの80年代のほうが女は輝いていたし、生き生きとしていた気がする。

もちろん、そう見える陰では女は抑圧されていたのは確かだけれど、社会全体として楽しそうなのは今よりも80年代のように見える。

70年代は亭主関白的に抑圧されていて女は自由でなかったけれど、80年代の好景気で世界が広がり、女が活躍できるチャンスが切り開かれた躍動感があった。しかし90年代に好景気は終わり、次第に閉塞感が出てくる。

思うに幸不幸で考えれば、権利というものは必ずしも人を幸福にはしないということ。権利はものすごく大事で、それが侵害されるのは苦痛であるけれども、権利をヒステリックに主張してしまうと思いのほか、人間は幸せになれないという気がする。

そこまでは考えなくていいよというユルさが失われるからかもしれない。

いやしかし、女の恥じらいがなくなり始めたのも80年代にその兆候があった。それは戸川純が出たウォシュレットのCM。

女の恥じらいをぶち壊すインパクト。

思えば、戸川純的なものが今の女性らしさのひとつになっている気もする。

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