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自分が変わっちゃうような衝撃がいい

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結月でございます。

今、ジャック・デリダの解説本を読んでいて、

「う〜ん、なるほど…」

なんて唸りながら楽しんでる。やっぱり哲学はおもしろいのである。

と、かなり難解と言えるものかもしれないけれど、哲学慣れしているわたしはちゃんとついて来れている。

とは言え、こんな本は他人には薦めないのは、哲学用語や西洋哲学の歴史を体系的に知ってないとチンプンカンプンな専門書だからで、哲学の素養がないと、きっと10ページも読めないものだろうから。

それは文学部出のわたしが医学書を薦められても読めないのと同じなのである。

ジャック・デリダを読んで「なるほどね」なんて思うたびに、今までの自分がブラッシュアップされて新しくなっている。なぜなら「なるほど」という理解は、今までの自分にはなかった知恵であり、見方であるから。

今の自分にとって激変するほどのものでないにせよ、読んでいる瞬間瞬間で方向転換がなされていく。

それはまるで電車のレールが切り替わるようで、この本に出会っていなければただの直線を走りっぱなしだったのが、本を読む中で何度もレールが切り替わって直線ではなくなっていく。

あまり過激な変化はないのは、すでにいろんな経験や知識がある年頃だからで、10代や20代のようなストレージが空きまくりな頃とは違うから。

しかし、本だけでなく、これで人生変わっちゃったなっていう経験はあるもので、できればそういうものは多くあったほうがいいように思う。もちろんいい方向に変わったという意味で。

それは音楽でもいいし、旅行でもいい、人との出会いでもよろしく、自分の中でパラダイムシフトが起こっちゃうような出来事。

わたしの場合はフランス、特にパリの街は大きなそれであって、大きな分岐点だったから今でもパリの街には思い入れが深く、いつだって行きたいと思っている。

でも、手っ取り早いのは本じゃないかな。金もかからないし、手軽だしね。

しかし、本にもいろいろあって、おもしろいんだけど、人生までは変わらないし、そこまで影響力ないよねってものが多い。

例えば、綿矢りさの小説読んでも、うまいのはわかるんだけど、人生にはほとんど影響を及ぼさない。毒が薄いっていうか、衝撃がないというか。ただ女の戯言に付き合わされてるなって感じがしちゃって、「はぁー」みたいな。

と、綿矢りさのことが嫌いじゃないんだけど、そういう小説なんだろうなって、ジャンル的に。

まあでも、それも人それぞれで、もしかして綿矢りさで人生変わっちゃった人もいるかもしれない。

それ、アルコールと一緒で、缶チューハイ飲んで酔っぱらう人と缶チューハイでは酔えなくて、もっとハードリカーをストレートで煽らないと反応しないっていうのと同じかもしれない。

50°のウォッカに慣れてると、缶チューハイを飲んでも美味しいけど酔わないみたいな。ただ缶チューハイは製品としては非常によくできている。綿矢りさだって小説としては上手でよくできている。

ちなみに女の作家なら中国の『上海ベイビー』はアルコール度数の高い密造酒って感じがしてとても良かった。小説が上手とかそういう判断じゃなくて、とにかくガツンときて、雑なんだけどゾッコンになってしまうような作品。

多分、「上手」っていうのは衝撃がないんだろうな。哲学書がおもしろいのは、哲学が上手い下手で評価されるものじゃないからなのだろう。そもそも哲学書って難解すぎて、当然読者のことなんか考えてないし、とにかく頭の中で考えられた複雑極まるものを必死に文字化して叩き込んでる。

ニーチェなんて狂人沙汰だし、実際に発狂しちゃったし、だからこそ衝撃がとてつもない。

あとヴィトゲンシュタインとかね。難解でものすごいんだよ。でも、その中に飛び込んでなんだかよくわからないけどそのすごいものを掴み取りたいって思っちゃう。

哲学に関しては研究者が必死に研究して、その解説本を書くわけだけれど、もともとの哲学が難解なものだから、解説本のはずが結局難解になっていてミイラ取りがミイラになっているのがまたおもしろい。

そして読者もミイラになっちゃってさ。わたしもすでにミイラだよ。

そう考えると、哲学書ってピラミッドみたいなもので、中は複雑な迷路になっていてきっとものすごいお宝があるのだろうけど、入るとミイラになっちゃう。

だからミイラにならないように地図を作ってみたりして、仕掛けを解明しようとする。でもやっぱりミイラになる。

ところがそのミイラは死んじゃいない。ミイラになってるのにまだ探究している。哲学者が年老いてもずっと哲学やってるのはそういうことなのだろう。

そう言えば音楽家もそんなところがあって、バッハの無伴奏なんてミイラ取りがミイラになる作品だと思うよ。

思えば、山登りもミイラ取りがミイラになるよね。エベレストなんてそこを目指してこれまでに何人死んでいることか。

でも不思議と山って登りたくなっちゃう。あまりにハードで二度と登るものか!と思っても、しばらくするとまた登りたくなる。きっと山にも人生が変わっちゃうような衝撃があるからだろう。

ところが人生が変わっちゃうようなことをしようとしない人も大勢いる。いや、むしろそれが多数派かもしれない。

もちろん、人生変えようと思って結婚詐欺に遭ったり、金を騙し取られたり、犯罪に巻き込まれたりっていう愚かはしちゃいけないけれど。

でもまあ、いいか。変えないことが安泰だって思う価値観もあるから。でもね、変えないつもりでも人間は少しずつ変わっちゃってるものだよ。

それが能動的であるか、放置のままの劣化かどうか。

果物だって放置しておくと腐るよね。人間だって何もしなかったら腐る。

年金生活しながら、毎日テレビ見てるだけとか、それ、緩やかな腐敗なんだろうなぁ、人間として。

やっぱ能動的に生きて、人生変わっちゃうような出会いに興奮しながら、変化(へんげ)していきたい。

と、ジャック・デリダを読んで、昨日のわたしと今日のわたしは変わっちゃってる。

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