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年賀状ってなくてもいいけど、あってもなくても…

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結月でございます。

年々うちに届く年賀状は減少していて、まるで絶滅危惧種の生存数を数えるようなお正月。

わたし自身もかなり前から年賀状は一切書かなくなって、でもそれまでは頂いた人には無地の年賀状に万年筆で裏面に手書き、かつ縦書きでそれぞれの人への内容で7行は書いていた。

プリントだけの年賀状なんて意味がないと思っていたし、それは今もだけれど、宛名もすべて手書きが基本だと思っている。

とはいえ、年賀状そのものが旧時代のもので、今やラインでも「あけおめ!」ってあまり来ない。

と、そんな年賀状の存在感がほぼないこの時代にうちに届くのは付き合いのある業者からのプリント年賀状がほとんど。

それでも着物の業者一件だけは、毎年小さなメッセージが書かれていて、「らしいな」って思う。

プリント年賀状を出すくらいなら初めから出さなきゃいいのにって思うけど、旧時代の会社は一応出す。出すならメッセージくらい一言書けよと要求したくなる。

なぜなら、プリントだけのものはメーリングリストに入っているだけで、一斉にプリントし一斉に投函しているだけだから、そんなもん、もらうほうが寂しくなる。

今年は一枚、裏面はプリントで宛名だけは手書きのものがあったけれど、

「あれ?」

と思ったのは、その人の筆跡ではなく、

「これ、男が書いた字に見えるんだけど…」

と、代筆感バリバリのめんどくさげな字で、しかもわたしの名前の漢字の一部が間違ってるし。

こんな年賀状なら貰わないほうがよかった。ちょっとショック。きっちりしてる人なのになぜか代筆で字も間違ってるなんてガッカリだよ。

それがわかるのはその人の字はもっとしっかりとしたきれいな字であることを知ってるからで、

「字がきれいだなぁ〜」

という好印象がなぜか汚い字の代筆でぶち壊し。

これってお歳暮とかお中元がランク分けされているようなもの? 自分で書くのと代筆で分けてて、わたしは代筆に格下げされた?

う〜ん、それなら最初から宛名もプリントでいいのに… 手を怪我したとか、そういう事情?

と、きっちりした人なのに「らしくない」ことでいろんな憶測をしてしまう。

さて、年賀状をもらうメリットは相手の住所がわかることで、引越ししてもその情報は更新される。

とはいえ、疎遠になってしまった人は年賀状をもらった時には懐かしく思いつつ、改めて連絡することはなかなかない。

気にはかけているのだけれど、わざわざ電話してもなぁ…と気が引けてしまって、そのまま疎遠が深まる。

今はSNSがあるので、連絡を取るのはそっちでダイレクトな時代だから、アカウントを変えられたり、友達から外されない限りは縁は続く。

まあ、そんな年賀状がはっきりと旧時代になった令和は郵便局の売り上げもさぞかし苦しかろうと思いつつ、首都圏で緊急事態宣言なるものを新年早々出すなんて話もあり、

「こりゃ飲食、オワッたな…」

と、気の毒に思い、

「要請なんて無視しとけばいいんじゃね?」

と、飲食経営者に愛のあるわたし。

そんなことよりコロナ受け入れオッケーな病院を増やすべきなんだけど、そうはいかないのが縦割りでこんがらがっている日本の面倒なシステムなのだろう。わかっちゃいるけどできない。しょーがないってなって、これだけ病院がありながら、コロナの重篤者を受け入れられる数があまりにも少なすぎるというキテレツ日本。

というわけで、医療が緊迫している!というのは感染症法で第2類オッケーな特定の病院の話で、それ以外のフツーの病院の玄関には意訳すると、

「コロナはうち担当じゃねーから入んな!」

という内容の張り紙がされていて、コロナが疑われる症状がある人はこちらへ電話をって、帰国者・接触者センターの電話番号が書かれている。

しかし、コロナで明らかになったこと、つまり感染病を扱える病院が日本ってこんなに少なかったんだ!という事実。

だから、「趣味・病院」のわたしは医療崩壊なんていうおどろおどろしい言葉がマスコミにあっても、いつも行く病院は平穏そのものなのである。

病院が数多くあっても大半は民間となれば、確かに経営があるから、コストと手間が絶大にかかるわりに儲けがないコロナ患者を受け入れるのはパス。絶対来るなってなるのはわかる。

中国みたいに突貫かつ人海戦術でコロナ病棟を作っちゃったりできればいいけど、それは日本の法的なことや医師会の利権、厚生省の都合とかががんじがらめになっていて、無理ゲーってことなのだろう。そもそも医療技術者の数の問題もある。

そこを無視して、こうやればいいっていう提案をするのは愚かなもので、政府だって馬鹿じゃないんだから、そんなことくらい言われなくてもわかってる。でも、どうにもできない面倒な事情があって、だからこそ緊急事態宣言なんてしたって意味ねーけどって菅首相はよく知っていて、でもその事情を理解しない一部の国民が素人感覚で騒いだり、それをマスメディアが増幅させたりして、選挙がある民主主義では、

「とりあえず意味ねーけど、支持率のためにちょこっとやっとく?」

みたいなことになって、結果、中途半端でしかいられないのは、菅首相のせいではなく、そもそも日本というシステムがそうなってるだけ。

日本の場合、政治だけでなく企業もトップはリーダーではなく、数ある縦割りの調整役なのだから、菅さんのことを悪く言っても無駄だし、ましてやリーダーシップなるものを他の国の事例を持ち出して言っても、

「そりゃ、酷っててもんだぜ」

となる。

中国みたいな極端な中央集権で、しかも選挙がなくて、人権意識が培われてない国はコロナには強かったわけで、中国がやったことを日本ができるわけがないし、コロナの安全と引き換えに日本にはない不自由さもあるのだから、まあどっちもどっちかな。

とまあ、新年早々、物騒な緊急事態宣言がどうって話で年が明けてもスッキリしない。

わたしとしては国民側が政府に制限の権利を与えるようなものを求めるっていうところが、

「もしかしてM?」

と思うのだけれど、政府のほうが自由を愛しているって気がして、不思議な状態だなって思う。

さて、一言のメッセージもないプリントだけの年賀状。これってもらってどうすればいいの? メッセージ性のない手紙をもらっても意味がないことに気づかず、慣習だけで出してるっていう思考停止の人や会社は、

「ちょっと頭、大丈夫?」

と疑ってしまう。

礼儀にも挨拶にもなってない手紙。

「だったら、最初から出すなよ」

だよね。

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