結月でございます。
来年から始めるプロジェクト。幸いコロナ禍のおかげで慌てずゆっくりと始められそう。わたしにとってコロナ騒動は「幸い」なことがちょっとあって、実はそれほどダメージを受けていない。かと言って、イカサマ満載の消毒液空中噴射機で短期集中で稼いだ業者のような大儲けをしたわけでもなく、栃木にいることでコロナから距離を置いた見方ができている。
コロナによって社会が大きく変わることは間違いなく、それは現在進行形で少しずつ変わり続けているのではあるけど、自分がコロナ禍に影響を受けず、感染地域にもいないことで社会の変化を眺めながら新しいことをゼロから始められそう。
これがコロナ以前に始めていたら、軌道修正やその処理に忙殺されるに違いなく、いつ、これからどうしたらいいかなんてわからないほど揉みくちゃになっていただろう。
でも、社会が変わるということは、新しいことを始めるにはうってつけで、終戦後にガラリと世の中が変わったことと同じく、「以前」のものを認めなくてもいいことになる。
新しいことを始めるときの障害は何と言っても古臭いままの人の妨害であったり、変わろうとしない消費者の心理であったりする。
ところがコロナのおかげで、
「それって、コロナ以前の価値観ッスよね?」
と、言えてしまう。
価値観の変化は気づきにくいものだからそれを理解してもらうには相手がかなりのリテラシーの高さがないといけなかったのが、コロナの騒ぎで日本全国そのことに気づけるようになるのがすばらしい。
なんて偉そうなことを言っても、新規のプロジェクトがうまく進むかはわからない。やって見なくちゃわからないし、常識的にもとんとん拍子で行くことなんてありはしないし、逆にそれがあればヤバい。足元をすくわれる。
でも、既存の考えやシステム、そして利権がコロナでぶっ壊れていくのが結構痛快で、わたしは楽しんでる。
ぶっ壊れていくところは必死に既存に戻ろうとするだろうから、これまた痛快。戻りはしないのに戻そうとする古い頭の人たちが日本の場合は得てしてトップにいるのだから。
なので、こういう時は新しい提案が受け入れられやすくなる。
とは言え、コロナで社会全体の基礎体力が落ちているので、急速で新しいことができるってわけじゃない。簡単な話じゃない。
ただ、以前とは違ったアプローチが受け入れられやすいというアドバンテージ。
受け入れてくれない古い体質のところは付き合わなくていい判断ができるし、だってそういうところは間違いなく衰退するから。新しいものに賭けてみたい!っていうエネルギーを集めたいよね。
具体的にはコロナの状態を考えて、来年の9月くらいかなと思ってる。半年以上の準備期間は必要だし、コロナの落ち着き加減にもよるから。
でも、時が流れるの早いからね。中国の武漢で騒ぎ始めて、もう1年経っちゃった。
ともかく、人間のメンタルというのを心理学的にも考えると、来年の9月にはできると思うんだけどね。
そこからゆっくりと進めていくよ。
コロナでパラダイムシフトが起きるんだから、これからおもしろくなるよ。