結月でございます。
コロナが騒がれ出して「接待を伴う飲食店」がクラスター源になったりして、そこでの飲食を控えるようなことが言われ出した。
「接待を伴う飲食店」とは、古くはスナック。これは昭和スタイル。なので、今スナックで遊ぶような人は基本的に団塊世代くらいで、若い世代はスナックなんかは行かない。行ったとしても、年寄り上司に連れて行ってもらうというくらい。
あとはキャバクラ。女向けだとホストクラブ。さらにはゲイバーなどなど。
接待を伴うとは、ホステルの女なり、ホストの男なりが客の隣に座ってお酒を作ってくれて、それが各テーブルを巡回する。
カラオケはセットになっていることが多いから、酔っ払ってカラオケで絶叫するのも醍醐味。
とまあ、そういう飲食店はカラオケの防音対策もあるし、そもそも外から見えるものでなく、アングラ的に楽しむものであるから部屋は密閉。
そんな中でカラオケで絶叫しながら、ホステスがそれを盛り上げていてはコロナに限らず感染症には格好の場で、やっていることが不健康な場には不健康な病気が流行るもので、それは波長の法則に適っている。
さて、そんな接待を伴う飲食店をこのコロナの中でどうすればいいか?はなかなか難しい課題であって、強制的に営業停止をさせても今度はその経営者、ホステスなどの労働者が生活ができなくなってしまう。それを補填する補助金も自治体は出せる余裕はないだろうし、そうした不健康な遊びは国民的な同意を得られにくいから、
「さっさと潰れろ」
が、まかり通ってしまう。
しかし、中国みたいな「あんたの人権なんて知らねーよ」というスタンスで政府が感染症対策をガチでできる国ならいいけれど、憲法という素晴らしいもので守られた日本では「さっさと潰れろ」を行政がやることはできず、基本的人権が尊重されるからナーナーなところでやるしかない。
とまあ、基本的人権は素晴らしくても、感染症対策には向いていない代物で、ちょっとそのあたりは真面目に話すとすごい長くなるからここではしない。
ところで、わたしは「接待を伴う飲食店」にはほとんど行ったことがなく、おそらく思い出せるのを数えて4回くらいだと思う。
会社員を少しの間やったときに上司のおっさんが連れて行ってくれたとか、銀座にいるときお客さんが食事をご馳走してくれてその後にスナックにも連れて行ってくれたといった感じで、自分から行ったことは一度もない。
今はお酒はほとんど飲まないノンアル生活になっているとはいえ、それまではバッカス公認のドリンカーであり、要するにお酒ばかり飲んでいた。
外で飲むときは、基本的に銀座のオーセンティックなバーで、静かに飲む。ときどきバーテンを話す程度。
家で飲むときもひとりで、映画を観ながら食事と一緒に猫を前にして飲む。
あとは気の知れた人とだけ飲む。
だから、接待が伴うなんてことを望んでいなくて、ホステスは邪魔なものでしかない。わたしにとってはね。
もともと騒々しいところが嫌いということもあり、あとはホステスと話しても全然おもしろくないから。
わたしは頭のいい女の人が大好きなので、話す内容がスカスカな女には興味がない。そんな女が隣に座っても別に話す話題もないし、水商売的な肯定で話を合わされても意味がないし、そこに酒屋で買えば1500円で買える焼酎に1万円払うような金は使いたくない。
銀座の超高級クラブに行けばすごく頭のいいホステスはいるにはいようが、それも接客のプロとしてであり、そこでの交流がわたしの仕事に何か得することがあるかと言っても何もない。そもそも銀座ではホステスに着付けを教えたりもしたから、なんで教える立場なのに飲みに行かにゃならん?
さて、スナックやキャバクラなど接待を伴う飲食店が好きな男というのは、自分より頭がいい女を相手にできないタイプがほとんどだと言える。だから、ホステスやキャバ嬢は頭が悪いほうがいい。
そこで男は優越感を味わい、
「お前、バカだね〜 そんなことも知らねーのか〜 ブハハハハハ!」
みたいな楽しみ。
あとはささやかな自慢話を聞いてくれる女目当て。
世間的にはどうでもいいような会社での自慢話を女にして、
「すご〜い!」
なんて言われて喜んじゃう。
それに日本の男は会社で抑圧されて生きているから、金を払ってでも自分を偉く扱ってくれる場を求める。
それはホストクラブに通う女に風俗嬢が多いことと原理が同じ。
あとは家に帰ると嫁さんにも娘にもシカトされているような男も接待を欲することがあるだろう。
というわけで、ニーズがあるから接待を伴う飲食店は古くからあり、それは形態を変えつつ、存続することは間違いない。
で、そんなところにコロナの感染リスクが高くても行くのか?となるとちょっと面倒な話になる。
接待を求めるというのは基本的に寂しがり屋であったり、優越感を金で買ってでも味わいたい俺様タイプ。
そうした人はコロナが今、騒がれてるからさ、なんて言っても通じない。ちょっとは抑制するかもしれないけれど、やっぱり行きたい。
それは快感の中毒でもあり、中毒だから酒屋で買う値段の10倍は払ってでもボトルキープする。中毒でなければ、そのあたりは冷静に考えられるから、法外な金は払わない。
言わば、ちょっと病的ではあるものの、そうなってしまうにはこれまでのその人の人生があり、社会環境があるわけで、頭ごなしに、
「接待を伴う飲食店に行く奴は最低!」
とは言えない。
これは個に対して理解をしようという文学的立場であって、それを真っ向から否定して認めないとなると中国政府的になる。
さらにホステスなど、そういう仕事しかできない女もいる。ホストなら男。
そういう仕事が向いていて、学歴もなく、社会経験も水商売オンリーだからそれ以外に働き口がないという人々。
これも文学的に見れば、その人の人生が描かれる。そこに善悪はない。
一人一人が自分の人生を生きている中で、一つの嗜好を否定することは大変難しい。コロナがエボラ並みの殺人ウイルスならわかりやすいが、ほとんどの感染者が無症状か軽症となると、かえって扱いにくい。
そして生活の基本となる経済を緊急事態宣言のようにストップすることはもうできないわけで、それは補償する金もないし、国家を支える財政に響くし、企業だってもう堪えることはできないのがわかっているから。
そんな中で接待を伴う飲食店を必要とする人々をどうすればいいのか? 早い話がWINWINが不可能な無理ゲーで、適切な答えがないからナーナーで今もやっている。
それを理解すれば、むやみやたらと飲食店の自粛を求めたり、GoToの悪口を言ったりすることができなくなるわけで、
「まあ、しょーがないよね」
と、過ごすしかない。
非現実的なことを言えば、テクノロジーでもって接待を伴う飲食店と同様の効果が得られて、しかも感染リスクがないものをサイバー上で作るとかになるけれど、そんなものを構築している間にコロナなんてワクチンができて、
「今頃何やってんの?」
となってしまう。
ともかく人間は体質改善というものは最も難しい。
接待されることが大好きな体質、接待する仕事が合ってる体質。
これらはそう簡単に変わるものではなく、猫好きに対して猫への興味をなくせというようなもの。
そうやって社会とは複合的にできあがっていて、その細かさと言ったら特定できないほどのものがある。
それを全否定することは、基本的人権を否定することにもつながり、一つの価値観を強制的に押し付けるような、例えば文化大革命のようなことはその反対側にある。
コロナに限って言えば、接待を伴う飲食店は社会悪になっても、その個人の人生にとっては悪ではないというねじれ。
やっぱりこれは解決できない無理ゲーであって、
「まあ、しょーがないよね」
と言いながら、時間が過ぎて行く。
ところでアメリカはコロナの感染者が大変多い国だけれど、そんな中、大統領選挙で市民が顔面に迫りながら大声で口論していたり、バイデンが勝ったらその支持者たちがたくさん密集して勝利の歓喜を大絶叫したりするのを見ると、やっぱりアメリカはウイルスよりも本能的に自由を優先する国なんだと思いましたよ。
皆さんはウイルスはないけど自由が制限される中国とウイルスはたくさんあるけど自由は制限されないアメリカ、どっちに住みたい?
わたしはどっちもパス。日本がほどほどでいいと思うよ。