結月でございます。
今更いうことでもないけれど、本当に大事なもの、そこがコアだというものはシンプルで短いものなんだよね。
文章を書いていても、実は要らない記述が多くて、要らない装飾や言葉がたくさんだったりして、どれが無駄で要らないものかということがわかるようになれば、まあまあだと思う。
「要するにこういうことでしょ?」
という中心核のものはシンプル。
しかしながら、一言で言えてしまうことは底が浅くて、奥行きがない。底があって、奥行きがある大事なものをシンプルで短くやれることがいいんだよ。
人と話をするときなんかも、ほとんどは要らないトークばかり。
仕事だってほとんど要らない仕事ばかりな会社も多い。
そして、何をやるべきかという答えも実はシンプルで短く、結局はそれをやる根性がないと要らない言葉ばかりで言い訳したりする。
お部屋だって、人間が生活するには要らないもののほうが多いもので、部屋にあるものの大半はゴミだったり、不要物だったりする。
しかし、いきなりシンプルに大事なことを捉えられるものでなく、そこに至るまでに不必要なものを積み重ねる。
つまり、それが要らないものだと気づくことが大事なわけで、要らないものを要るかも?と無駄を重ねるだけでは大事なところに到達しない。
大事なところにたどり着くために結果的に無駄となるものを重ね、そして最終的に要らないものはどれかを見極め、捨てていく。
捨てる作業が大切で、捨てないと大事なものが隠れて見えてこないから。
と、これは誰かに言っているのではなく、自分に言っている。
今までいろんな無駄をしてきたおかげで、ちょっとそのことがわかるようになったから。
それでもまだまだわかったつもりになっているだけで、この身に要らないものはある。
きっといい年の取り方はそんなもので、次第に大事なものがシンプルで短いものであることが見えてくる。
年を重ねて、無駄ばかり増えているのはちょっとね、困る。
3歳の子供は何が大事か大事でないかもわからず、すべてを吸収しているから、人間はどこかでピークポイントを迎え、それから要らないものを捨てていくようになるのだろう。
捨てることがいかに大事かを知らずに死んで行くのは、ちょっと迷惑な話だよねって思うわけ。