結月でございます。
今日の朝、保育園の帰りに立ち寄ったスーパーでレモン牛乳のナイススティックが売っているのを発見し、30秒ほど迷って買ってしまった。
なぜ迷ったかというと、食べなくてもおいしくないと思ったから。
そしてなぜ買ったかというと、ネタとして扱えるかなと思ったから。
すなわち「意外とおいしい!」という裏切りは最初から期待してなかったというわけで。
ナイススティックをこよなく愛していわたし。そして、そのパンがナイススティックという名前だということを知ったのが最近であるというわたし。
つまり、中学生の頃からそのパンの名前を知らないまま、名前に興味がないままずっと食べていた。
さらにナイススティックにいろんなテイストのものがあると知ったのも最近。
すると、今日のスーパーには「つぶあん&マーガリン」などなどたくさんのバージョンが豊富だった。
その中に栃木限定だろうか、レモン牛乳のものがあった。
レモン牛乳は栃木名産の飲料で、デザインもテイストも昭和。
っていうか、レモン牛乳を飲んだのも去年が初めてで、知ってはいても、
「どうせおいしくはないだろ」
と、スルーしていた。
そして、飲んでみて、やっぱりおいしくはなかった。昭和の味。
今年、3歳の愛娘を連れて宇都宮動物園へ行ったら、ものすごく暑くてアイスを食べようということになった。
「やめとけ」というわたしの反対を無視してレモン牛乳のアイスを手にとった3歳児はそれを食べると、
「おいしくない…」
と、一口食べてわたしに渡した。
「あのね、これは昭和のテイストだから、昔みたいにおいしいものが少なくて、デザートも充実してなかった昭和っていう時代のものなの。だから、今みたいにおいしいものに慣れると、これはご馳走でもなんでもなくて、ただおいしくないんだよ」
そんなことを言ったら、営業妨害としてレモン牛乳を作っている会社から怒られそうだけど、でもテイストがレトロっていうのは仕方がない。
これはオリジナルブランドとして少量生産で残して、今の時代に合ったレモン牛乳を作るべきなんだよ。
ターゲットは大人の女性で、レモンの爽やかなテイストが心地いいとわかるようにやったほうがいい。
そもそもレモン牛乳商品って、栃木県のサービスエリアとかでしか県外の人は入手できないんじゃないかな。物珍しさで買う人もいるだろうけど、一体どれだけ売れているんだろう?
おそらく栃木の地元の人はまず買わないと思う。それは「とちテレ」が栃木県民のほとんどは見ていないことと同じで。
さて、そんなことを思いながら買ったナイススティックのレモン牛乳はこんなのです。
「なんだニャ?」(あまりにも禁断なネコ語)
ところでこの地域限定ナイススティック、上部のレモン牛乳のラベルの部分が、思い切り粗雑な画像の貼り付けなところがなんだか栃木っぽい。
というのはヤマザキ製パンの技術ならきれいにできそうなものの、
「画像、送ってください」
と言うと、栃木のレモン牛乳は、とんでもなく小さい画像を送ってきて、
「もっとデカいの、ないの?」
と言う問いかけに、
「これしかないです」
みたいなやり取りがあったと想像。
いやいや、あまりにもこれは勝手な想像ではあるが、昭和的すぎるレモン牛乳だからマジでありそうな展開。この時代にデジタルに超疎いっていうかね。
もしかして、ヤマザキ製パンがその昭和的テイストをパッケージにも敢えて生かそうとしたのだろうか?
ともかく、「ダサいが魅力の栃木」という見方のわたしとしては、この粗雑な画像によるプリントに栃木への親しみを覚えている。
栃木県はこのダサさを全面的に観光PRとして押し出すべきであり、それは間違いなく東京から来た人にはウケる。
だからこそ、GoToトラベルで東京除外なんてもってのほかで、栃木はダサいを売りにして、東京からの外貨を稼ぐべきなのである。
そのプロデューサーはわたしがやるから、栃木県庁、アタシを指名しろ!
さて、そんなレモン牛乳のナイススティックがけれど、食べてみたら寸分違わず予想通りの味だった。
もうそのまんまだよ。レモン牛乳がクリームになっただけじゃん。って、当たり前だけど。
クリームの感触がちゃんとナイススティックのものになっているのはヤマザキ製パンの仕事。
いやもうわかっちゃいたんだけどさ。やっぱりナイススティックはノーマルのがおいしいんだよ。だから、レモン牛乳なんて買わずに「いつものやつ」を買っておけばよかった。
そして、レモン牛乳に限らず、ナイススティックは他のバージョンには食わず嫌いで手を出さないことにする。だってノーマルを超えられるわけないじゃん。
しかし、ナイススティックはうまい。
もし海外旅行、もしくは海外生活をした時、ナイススティックを異国の地でナイススティックを差し出されたら涙して喜ぶ。
そう言えば、今年の1月。中国に2週間滞在したはいいけれど、コロナウイルスが中国で大ヒットしたときとモロになり、外に出る用事もないまま退屈で死にそうな日々を送った。
基本、海外生活が好きなわたしもこの退屈さには閉口し、しかも身内が超絶ケチだから外食も楽しめないし、もう二度と行きたくないと思った。
それはわたしだけでなく3歳の愛娘も同じで、
「おうちに帰りたい〜」
と、ホームシックで泣きだす始末で最悪だった。
もしあの退屈地獄の日々に、ナイススティックを差し出されたら涙ながらに感激して、それを半分にして戦争孤児さながらに愛娘と一緒に分け合って食べたと思う。
外国へ行って、日本へ帰りたいなど思うわたしではないけれど、今年の中国滞在は二度目にそう思った。
一度目は、韓国のソウル滞在時。韓国人ディレクター宅に居候して映画祭のための脚本を書いていた時で、韓国の儒教的な習慣や文化が自由人たるわたしの体質に合わなくて、海外で初めて日本に帰りたいと思った。
結局のところ、わたしは自分の自由が阻害されるとダメな人間で、それは日本国内でも同じ。
他人から行動を制限されたりなんて、もう気が狂いそうになる。
どうやらその気質は、3歳の愛娘にも伝授されているようで、似たような性格だなと思う。
束縛が駄目ってことで、わたしは猫体質。