結月です。
畳の上に寝転がっていると、猫がスタスタとやって来てそのままお腹の上に寝そべる。それは顔をこちらに向けることもあれば、お尻がこちらの時もある。
猫のお腹と自分のお腹が密着する。
なんとも幸せな気分になる最高のひと時。
しかし、猫がやって来ると、どうしてこうも幸せなのか?
猫というのは犬と違って、こちらから指図する生き物じゃない。勝手気ままで、好きなように猫は生きている。
だから、飼い主に言われて「お座り」もしないし「お手」もしない。
犬好きなら、そのお座りやお手が可愛いと感じるのだろうが、猫好きにとってその行為は動物虐待とまではいかなくとも、人間の言われた通りにさせることに心を傷める。
動物に指図して何が気持ちがいいのだろう? そんな風に考える猫派。
猫は「やれ」と言って「やる」生き物でない。だから、基本的に言うことを聞くものでない。そんな気まぐれがスタスタとやって来てお腹の上に乗ってくれると、
「好かれてるなぁ」
なんて気分になるし、
「あら、来たんだね」
と、同じ生き方を楽しんでくれるようで、なんだか幸せになる。
それは会社の喫煙所でタバコを吸っていると、同僚や部下がやって来て、
「ちょっと一服ッス」
「だよな」
みたいなものにも似ているかもしれない。
つまり、猫というのは休息の生き物であり、だらしなさを共有できる魅力がある。
猫がお腹の上にいると、こちらまでウトウトとしてきてしまって、いつの間にか猫と一緒に眠ってしまっていたり。
しかし油断してはならない。
猫はお腹の上で寝てくれて、この上もない一体感で緩やかな絆を築いていても、ちょっと物音がすると、驚異的な瞬発力でお腹を蹴り上げ、ダッシュする。
この置き去りにされた感じ。運が悪ければ、お腹に痛々しい引っ掻き傷をつけられ出血。
お腹に激痛の残し、猫は気まぐれに離れて行ってしまう。
とにかく、猫は思い通りにはいかないのである。そして、思い通りにしようとしない飼い主に懐くのである。
この距離感。
人間だって、いつもそばにいられると鬱陶しい。付かず離れずのちょっと離れるのが多めがいい。
猫はきっとそれを知っているのだろう。ベタベタしすぎると、関係が悪くなることをあらかじめ知っていて、だからこそ好き勝手な距離感を保ちながら、押しては引いて、引いては押してを上手にこなす。
のべつベタベタしすぎない礼節を実は猫は持ち合わせている。
人間のほうは、その礼節を上手にできる人は思いのほか、少ないのではないか。