結月でございます。
将棋界の藤原拓海、藤井聡太七段が王位の挑戦権まで得てしまった。昨晩はその様子をアベマTVで見ていたわたしは将棋は超絶下手くそなくせに見るのは好き。
これで2タイトル獲得の可能性。
しかし、その前は竜王戦を師匠の杉本八段と対戦し、師匠にも勝った。
小学生の頃から将棋を教えた弟子が、高校生でタイトル戦というのは、もう師匠にとっては涙が出るほど嬉しいだろうし、そんな弟子のことは目に入れても痛くないほど可愛いに違いない。
と、師匠のそんな気持ちがリアルにわかる自分を振り返って、
「あれ、アタシにはそんな弟子っていないもんだなぁ」
なんて思う。
今まで着付けはかなりの人数を教えてきた。着物を好きなときに着られるようになって、着物ライフを楽しんでいる人もいる。
とはいえ、将棋でいうタイトル戦に出るようなことって着物にはないし、考えられるのはわたしが教えた着付けで着付け教室を開業するとかかな。
過去に何人か、着物を仕事にしたいっていう相談を受けたことがある。
でも、アドバイスとしては、
「やめたほうがいいよ」
であり、それは着物業界が衰退産業であり、かつ着付けは金にならないから。
わたしの場合は、楽器商という着物以前の仕事もあるし、コンサートを開催したりなど、要は着物以外でなんとかなる転ばぬ先があるから着付けができた。
だから、着付けオンリーではとてもじゃないけどやってはいけない。
あと決定的だったのは、相談してきたみんなに共通していたのは、着物に憧れがあるだけで、ビジネス感覚や経験がなかったこと。やめたほうがいいというアドバイスの原因はほぼここにあった。
着物で仕事するなら、憧れというレベルではなく、一日中着物のことを考えられて、着物の美しさにただならぬ執念があって、かつ金銭のことがクールに考えられなければならない。
これって意外とハードルが高い。特に着物という憧れやすいものに関しては、そこまでできる人はそうたくさんはいない。
それに着付けそのものはあまり収益になることはなく、着物の物販をやらないと成立しない。ところが着物という専門性の高いものはちょっとした知識では物販はできないし、色や柄などのセンスはお客さんを圧倒的に凌駕していなければならない。その素養を身につけるのは、そう簡単ではない。
というわけで、わたしはたくさんの女の人に着付けは教えたけれど、目に入れても痛くないような愛弟子っていないんだよね。
弟子じゃないけど、可愛がってる生徒はまあまあいるけど。
と、教えを施した者がビックタイトルを取るような業種をやってないということ。着物にタイトルなんてないしね。普通に、綺麗に着られればそれでいいよ。
思えば、3歳の愛娘はいろんなことができるようになってきて、ちょっと嬉しいことはある。
わたしが栃木に来た時、つまりこちらに来なければならなかったのは週一でしか東京から会わなかったせいなのだけれど、愛娘はまったく言葉を話さなかった。保育園の同じクラスの子供はベラベラ喋るのにまるでダメ。保育園の先生からも心配された。
これはちゃんと教育をやらないと本気と書いてマジでヤバいと痛感したわたしは東京を離れて、こちらに来たのである。
それがあまりにも急だったせいで、みんなびっくりしたと思うけど、自分でも急展開にびっくりしていた。
「あー」とか「うー」とか言わない子に毎晩、絵本を読み聞かせ、ひらがなパズルを毎日し、徹底的に教えた。
数ヶ月するとようやく少し話すようになり、さらに少しずつ、少しずつ話すようになった。
子供というのは教えないと成長しないのである。肉体は成長すれども、頭のほうはしっかりと教えないと成長しないことを痛感した。
今ではまともなコミュニケーションが取れるほどになっている。栃木に来て1年半。ものすごい成長だと思う。
昨晩はアルファベットと絵本の音読。
そして、いつも「勉強しろ」とは言わない。
「さてと、アタシ、勉強しよ〜っと!」
と、わたしが今、勉強中の分厚いテキストを開いてそれを読み始める。これは一応、期日があるから本当に勉強しなければならないのである。
そこで敢えて、愛娘を放っておく。すると、ひとりで絵本の箱をゴソゴソとやりだして、絵本を抜き取る。3歳ながら、他人の勉強は邪魔してはいけないと思うようだ。
すると、わたしの隣に同じように寝転がって、
「べんきょう、しよーっと!」
と、同じセリフを言うと、絵本の音読を始める。
随分、言葉が繋がるようになってきた。隣で声を出して読まれると、自分の勉強にとってはうるさいなと思いながらも、その健気な様子が可愛らしい。
すると、
「なんでこんなの、あるの?」
と、訊いてくる。それはカギカッコだった。カギカッコの説明を3歳児にするのは難しい。通じる語彙を選ぼうとするもうまくいかない。
考えてみれば、相手が知っている語彙でわからせようとするからいけないんだ。わからなくていいから普通に話そう。そしたらいずれわかるようになる。
と、カギカッコの説明をする。
わかってなさそうだけど、それでいい。語彙のレベルを下げようとすると、語彙力が上がらないから。
そうやって二人で並んで各々の勉強をする。
勉強なんて「やれ」と言われたらやりたくないものだ。やりたい勉強をやるから楽しい。わたしだって今、やりたい勉強があるから勉強してる。
愛娘は弟子ではないけれど、“あいうえお”から教えた言葉がここまでになったのを見ると、嬉しいものなのである。
森羅万象、この世には勉強し尽くせないほどのものがある。だから、興味さえあれば、この世ほど楽しいものはない。