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桜の花より菜の花

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結月でございます。

栃木をクルマで走っていると、桜の木が連なっている風景を普通に見ることができる。

うちのマンションのそばにある道路はなかなかの桜並木になっていて、それはどんな具合かというと、ちょうど「100日後に死ぬワニ」のラストみたいな感じなのである。

しかし、わたしは桜はあまり好きじゃない。どうにも咲き方がこれでもかと押し付けがましく、それでいてすぐに散ってしまって根性がない。

あとは、多くの人が桜、桜と言うのが気に食わなくて、わたしはいつも逆張りで、社会の要請とは逆のことをしたくなるのである。

大勢の人と同じことをやっても目立つことはできないし、大勢に埋もれるということは、大勢と同じなわけだからそこにオリジナリティはない。

だから、社会が異様に意識高い系になって強烈な同調圧力になっているときには、「たり〜」と、学校行事に参加せず、体育館の裏でたむろしてうんこ座りしながらタバコを吸う不良みたいになり、逆に社会が関心を持たないのにそれがおもしろいと思うと妙にヒートアップしてそれを広めようと思ったりする。

そんなわけで桜はあまり好きじゃない。

栃木の田舎をクルマで走ってわかったのが、桜の樹の下には菜の花が帯状にあること。

わたしは桜よりも菜の花のほうがいい。

あの鮮やかな黄色が明るくていい。桜は明るそうに見えて、実は地味で陰気なところがある。散ることからペシミスティックな雰囲気もあっていやらしい。

菜の花には思い出がある。

それは中国の田舎にある町にバイオリンを仕入れに行ったときのこと。上海から入り、汽車やバスを乗り継いで行くのだが、大陸は恐ろしくデカい。

途中、小さなマイクロバスはこれまた小さな輸送船に乗り揚子江を渡った。

まるでNHKのドキュメンタリーのような旅で、ようやくその地にたどり着いた。

今のようにネットは普及していなかったし、スマホも登場しておらず、バイオリンの町のことはその町の名前しか知らず、通りすがりの人に聞き込みしながらやっとたどり着いたのである。

その町の駅に着いたはいいが、これまたバイオリンの工房がどこにあるかわからない。そして駅で屋台をしているおっさんに聞き込みし、工場を見つけた。行ってみたが、品物が悪かったので買い付けはしなかった。

路頭に迷いながら聞き込みを再開すると、自分の親戚がバイオリンを作っているというおっさんに出会った。ここから近いからバイクで連れて行ってやるというから、ボロボロのホンダに乗せてもらう。

田舎道を走るホンダ。会ったばかりのおっさんの腰にしがみつきながらバイクに揺られる。

そこは辺り一面が菜の花で、それはもう桃源郷ならぬ菜花源郷の有様で、どこまでも真っ黄色なのである。

とにかく、驚異的に美しい光景で、その中で田舎の人々は平然と暮らしている。菜の花なんて珍しくもないといった様子。

バイオリンは個人工房のものだった。品物がよかったので20本ほど買い付けた。そして商談成立ということで、そのまま近所の料理店で会ったばかりの人たちと食事をして酒を飲んだ。

中国にはたくさん思い出があるけれど、ベスト10に入る経験だった。

あの日、中国で菜の花の風景を見て以来、菜の花のことがとても好きになった。ついでに言うと、菜の花を食べるのも好きになった。

栃木では直売りの野菜があって、菜の花が1袋100円でずっしりと入っている。

時折、袋の中で黄色い花が咲いているが、その黄色を見るたびに中国の風景を思い出す。

さて、先日、3歳の愛娘を連れて、大きな自然公園に行った。そこは栃木県が運営している。

桜の木がたくさんあり、ちょうど散り頃だった。

風も強かったせいで、見事な桜吹雪になった。牡丹雪のようでもあり、大粒の放射性物質のようでもある。

そんな中、3歳の小さな手を握りながら歩いた。

桜は好きじゃないが、悪くもないと思った。

きっと外国から来た人があの風景を見たら、わたしが中国で広大な菜の花を見たときのような感動を得るのだろう。

愛車には桜の花びらがびっしりと付いていた。翌日、それは変色していて、ただのゴミの付着物となっていた。

やっぱり桜は好きじゃない。

どうにも押し付けがましい。

東京の桜は散ってしまったけれど、押し付けがましさは満開になるようだ。

早く散ってほしいと願う。

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