結月でございます。
マスメディアはもちろん、個人が発信するSNSでもコロナが熱いトレンドみたいだけど、もうわたしの中ではコロナは終わった。処理済みということ。
もちろん、世界からコロナウイルスがなくなったわけじゃないし、そもそもウイルスだからなくなるものじゃないのだけれど、コロナがどういうもので、それによって人間がどのような精神状態になって、社会がどのようになって、最終的には社会がどのような方向に進むかっていうことはもう自分なりにわかったから。
なので、もう興味ない。
メディアや個人のSNSがいくら騒いで、大量の情報発信をしていても、それらは何の解決になるものでもなし、ほとんどが不安のストレス発散みたいなもので、好き勝手なことをそれぞれの立場や知識量で言っているだけなのよね。
それによって具体的に社会がどう動いて行くというものでもなく、特定できない大多数の蠢きがあるだけで、これと決定できるわけではない。
「まあ、なるようにしかならないんじゃね?」
と、それは良くも悪くもであり、必要以上に怯えてしまう人はどうやったって怯え続けるだろうし、自粛によって倒産が現実となりつつある瀬戸際にいる人の気持ちはサラリーマンじゃわからないからきっと彼らは自粛を歓迎するだろうし、そうやっていろんな視点が混在して、無数のぶつかり合いがあるってだけ。
政治はそれを統括できる可能性を持つ唯一のものだけれど、それもそう簡単な話ではなく、日本の政治の力不足なのか、課題の複雑さゆえに身動きが取れないのか、その両方なのか、これまた単純に特定できるものでなく、「混在が存在している」中で時間が進行している。
ともかく、感染を恐れても感染するときはするっていうのがウイルスだし、それを気にしすぎて、実はそこにはウイルスがなくてもウイルスがあるような虚構に生きているのかもしれない。
ウイルスは確かに存在はしていても、多くは人間の虚構というか、想像の中にウイルスがあるのかもしれない。
実際は10のウイルスしかないのに、人間の心の中で1000を描いているとも言える。
いずれにせよ、わたしなりにコロナウイルスというものの解釈が処理済みになって、興味の対象でなくなった。
だから、店が自粛で閉まってしまって、食事に行けなかったりしても、そういう事象として捉えてるから、驚くこともないし、そういう事実だけしか感じない。
いくらそれを憂えて、SNSなんかでほぼ愚痴でしかない情報発信をしても社会が自分の思い通りになるわけじゃないし、となるとそれは時間の無駄だからさ。
感染するんじゃないかと怯えるのも時間の無駄だし、それって自分の時間を生きているのではなく、コロナの時間を生きてる。そう考えたら、すでにハートはコロナに感染してんじゃないの?
たとえ、本当に自分が感染したとしても、感染したものとして対処するだけ。
わたしは若いし健康だから、確率的にはやっぱり風邪にすぎない程度で済むだろうし、もし重症化してもそれそれで仕方ないよね。だって、病気ってそんなもんじゃん。コロナだけの話じゃないよ。
というわけで、コロナ騒ぎで社会は大きく変わるだろうし、これから世界が大変な経済打撃を被ることになるのは間違いないけど、そんなものは自分でどうにか変えられるものでもなし、波乗りのように生きていくしかないよね。
ただ、大きな流れに波乗りしつつ、自分がやりたいことをやるっていう姿勢は変わらずで、それがあるからどーにもならないこの社会のコロナフィーバーには興味がなくなった。
興味がないから、自分のやりたいことに時間を割ける。
なので、マスメディアだけでなく、SNSでもまだまだヒートアップしているコロナ騒ぎ。わたしは「いち、抜ーけたっ!」ってことで、自分の中ではコロナは終息しました。