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猫雑誌はエロ本と同じだ!

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結月でございます。

今日は午前中、

「そうだ、病院へお薬でももらいに行こうーっと!」

と、近所の内科へ行く。

待合室にあまりにも禁断の猫雑誌「ねこのきもち」があったので、パラパラとめくってみる。

すると、猫たちの写真が満載で、

「ふぉ〜!!」

と、言葉以前の感性がこみ上げてくる。

だめ… だめだわ… 可愛すぎて駄目…

猫の肉球特集があり、肉球の写真がたくさん。

悶絶だわ、もう…

と、名前を呼ばれるまで猫雑誌を見ていると、

「これって、エロ本と同じなんだな!」

と、気づいた。

肉球特集なんてオッパイ特集と同じだし、女の裸に悶絶してしまうところを考えても猫雑誌とはエロ本と根っこが同じなのだろう。

もしくはグラビアアイドルの水着写真とかね。

きっとそういう雑誌が好きな人は、グラドルの肉体に言葉以前の激しい欲情に悶絶しているはずだから。

しかし、猫雑誌はこの電子化時代の中でも紙でないといけない特殊なものなんだよね。

猫の写真はスマホでも見られるけれど、不思議と紙の雑誌の方がリアリティがある。

ところでこの禁断の猫雑誌「ねこのきもち」。告白すると、わたしも数年前まで購読していた。

銀座の店に雑誌が届き、それをバッグに入れると、自宅に帰る日比谷線で「ねこのきもち」を読む。

確か、1年間ほどは購読していた。

でも、辞めてしまったのは、1年経つとネタが同じであることに気づいたからで、

「ああ、この企画、以前同じようなのがあったよね」

となると、もういいやって気分になった。

それはそうで、扱うのは猫だから、常に斬新な企画なんてできるわけがない。猫がかかりやすい病気とか、引っ掻きグセを治すにはどうすればいいとか、あなたはキャットフードはドライ派?それともウェット派?とかね。

ちなみに今日読んだ肉球特集も昔あったよ。

同じようなネタの使い回しっていうのはエロ本でも同じだよね。

しかし、猫が寝ている顔の写真を見ただけで悶絶してしまうのは、どうもポルノの要素がある。

ところがそれが性的でないのが猫のいいところで、日比谷線の中でも堂々と読むことができる。

猫というのは不思議なもので、他人の猫でも野良猫でも可愛い。

これは犬派と大きく異なるところで、犬好きは派閥があって、犬が好きだと公言しているくせに、

「プードルは嫌」

とか、そういう不合理がある。

それは犬の形状がそれぞれ違いすぎるからだろう。

一口に犬といっても、シェパードとプードルは違いすぎる。ブルドッグとチワワは別物じゃないか。

あれだけ形状が異なっていて、犬とまとめられるところが妙なところで、イヌ科とはどういう分類なのだろうと疑問に思うことがある。

ところが猫の場合は、どれも猫の形をしていて、毛の長さに違いがあれども猫は猫の形。

あと、猫好き同士はすぐに仲良くなれる。猫トークは他人の猫の話でもうざったくないのも猫の功徳なのかもしれない。

しかし、気をつけなければならないのは、自分の家の猫トークは、猫好きにだけ許されるもので、猫に興味がない人にするものでないこと。

まあ、わたしは自分の猫の話は猫好き相手でも自分からはしないけどね。訊かれれば答えるという程度。

それが相手が猫に興味がないとなると、その猫トークは相手にとって退屈などころか、不愉快なものでしかない。

それは自分ちの娘が超絶可愛いとか、うちの旦那様が素敵すぎるとか、そういう共有できない自己満と同じだから。

基本的に飲み会など多数が集まる場で、身内自慢はしないのが鉄則。

誰も会ったことがない亭主の話とか、相槌を打つだけで疲れてしまう。

話題に共通性がないのが身内トークであり、それは禁断であるはずなのに思いの外、やってしまう人を見かける。

おそらく、それくらいしか話題がないつまらない人と言えるのだろうけど、他人への想像力がないとも言える。

身内の話でまあまあ許されるのは、自分の亭主のクソぶりを話すこと。これは結構、聞いていて痛快でおもしろいことがある。

ともかく、自分の身内自慢、そして自分のペットの話はしない方がいい。

きっと猫雑誌だって猫好きにしかわからないもので、それは女の裸満載のエロ本に例えると、同性の女にそれを見せても興味ないし、見たくもないし、同性愛の男に見せてもなんとも思わないどころが、グロテスクに見えるかもしれないのと同じ。

自分の身内自慢やペットの話は、自分が好きなエロ本を女や同性愛の男に「これ、最高だよね」と言いながら見せるようなものと言えば、その行いの悪さがわかってもらえるだろうか。

ちなみにわたしは動物が好きで、動物にも好かれるほうだと自認している。犬だって嫌いじゃない。それでも猫が大好きで猫と暮らしているから、犬の話をされたら退屈する。

お前んちの犬がどうとか、興味ねーし。

そんな話聞いたって、何の勉強にもならねーし。

お前んちの亭主なんて、興味ねーし。たとえお前んちの亭主が死んだって、正直「ふ〜ん」としか思わねーし。

もし話したいんだったら、事象をただ話すんじゃなくて、誰が聞いてもおもしろいと思えるようなユーモアを交えるとか、文学性を用いてやってほしい。

犬の話をしている中に人間を描いていれば、それはおもしろい。

でもさ、ただお前んちの犬がウンコしたとか、どーでもいいんだよね。

というわけで、いくら自分が可愛がっているペットであっても、他人にはしないほうがいい、っていうか、それがマナーかなと思うんですよね。

内田百閒の「ノラや」がおもしろいのは、それが文学になってるからだし、百閒先生のキャラが強烈すぎて笑えるからだよね。

ペットの話をするなら、あれくらいじゃないとね。

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