結月でございます。
わたしは猫が大好き。猫のことが好きでたまらない。自分が一番幸せだと噛みしめるように実感している時間は猫と一緒にいるとき。
人間の場合は、気の合う相手でも四六時中一緒だと飽きてくるし、相手の嫌なところも見えてくる。だからウザくなってくる。
だから人間が相手の場合は、会うのは最大でも週に一度くらいにしておくのがいい。そういうセオリーで考えると、学校とか会社っていうのは劣悪な環境だと思う。
猫がいいのは、まずその付き合いがサイレントなところ。
猫は言葉を話さない。
そして、猫は自分勝手にさせておいてくれる。つまり、面倒な要求がない。
そこにいてくれるだけで、ずっとこのままでいいと思う。
だから、猫が原因で電車に乗る時間がギリギリになってしまったりということがある。
何もするわけでなく、猫がそばにいて寝ているだけで飽きることがない時間。
うちの猫たちはあと何年、わたしと一緒にいてくれるのかその平均寿命を逆算してみると、あと10年は一緒にいてくれそうだ。
猫たちが死んだら、もう猫は飼わないと今のところ決めている。
猫がいるためにできなかったことがあるから、それをやろうと思っているから。
でも、猫がいなくなったらわたしから幸せはなくなるのだろうか?
それはわからない。それに代わるものが出てくるかもしれない。
そうは言っても、いてくれるだけで幸せということは猫以外でできるものなのだろうか?
猫がいなくなったときには、幸せという概念がわたしからなくなっているかもしれない。
そんなことをタイプしていると、ちょうど猫が膝の上に飛び乗ってきた。
そうそう。これこれ。
猫も自分のことを書かれていることがわかるのか。
こうして猫と一緒にいる今という時間は、きっと将来、思い出すだけで幸せなものだったんだとしみじみと感じるようになるのだろうね。
今の幸せと引き換えに、猫の命は毎日、1日ずつ少なくなっている。
そして、わたしも。