結月でございます。
なんか2ちゃんねる開設者のひろゆきがハフポストという媒体でフェミニズムのことでインタビューを受けたら、フェミニズム系の人たちからバッシングされているみたいです。
わたしはひろゆきが好きで、彼の動画は全部見てるよ。これはホントの話。全部見てる。
だからひろゆきがどういう考え方をするかってほとんど理解している。彼はやっぱりプログラマーだなって思うよ。
すごく論理的で、現実の問題をどう対処すればいいか、そこに感情は一切入れないで解決する方法を考えるよね。
だってプログラムってそうでなきゃ動かないもん。感情ではプログラムは動かない。そしてバグを排除して、プログラムが最短でスムーズに動くにはどうコードを書いていけばいいかと考えるから、そういうところがひろゆきだなって思うわけ。
なので、立場がニュートラルだよね。そんな彼に対してフェミニズム系の人が怒るのは、匿名のネット掲示板を作った悪い奴だっていう先入観や、ネット的な怪しい人っていうイメージを抱いているんじゃないかと思う。
まあ、そんなイメージを抱くのは古い世代で、ネットの出始めの怪しさ溢れる時代の感覚だと思う。今はみんなスマホでネット接続して、ネットがないと何もできないくらい生活に浸透しているからネットが怪しいとか思わないけどさ。
ともかく、今回のフェミニストからのイチャモンをずっと眺めていて、フェミニストを名乗る人たちの論理破綻がひどいレベルで、はじめから論理破綻している人を相手にするのって大変だなとひろゆきに同情してしまっていた。
するとわたしが思っていたことはひろゆき自身が的確に書いちゃったので、それを読むといいよ。
でも、他人にSNSでイチャモンつけてくる人って、ほとんどの確率でその人のことを知らないよね。イチャモンつけてきたフェミニスト系の人たち、きっとひろゆきの動画も見たことないと思うよ。
だって動画を見ていれば、ひろゆきが言っていることは理解できるし、もし意見が違っていても、ひろゆきの考え方はああだからって事前にわかり、ヒステリックな反応はしないはずだから。
ひろゆきはフェミニストとネトウヨとの共通点を言っているけど、わたしとしてはそれはパヨクに近いかなって思う。
まあ、ネトウヨとパヨクは言っている内容は違っても、頭の構造的なところは同じだけどね。嫌う対象が違うだけで、思考構造は同じだよ。
ネトウヨの嫌悪の対象が中国や韓国であり、パヨクの嫌悪の対象は安倍晋三だったりする。
共通点は嫌いな対象の全否定だから。
ネトウヨは中国や韓国のいいところは一切見向きもしないで、とにかく中国と韓国を全部否定するよね。
パヨクは安倍晋三のやったことで良かったことは無視で、気に入らないところばかりをバッシングして全否定。
だからネトウヨとパヨクは同じなんだよ。つまり、是々非々で考えられない、事象を分けて精査できないという点で。
フェミニストって「主義」だからどうしても全否定型になりやすいよ。大きな現象の中にはいいところもあれば悪いところもあるのが自然であるけど、それを一方的な「主義」で考えちゃうから思考が雑になる。だから嫌いなものにはヒステリックに全否定するよ。
拒絶反応が強すぎるから、相手の言論や思考をちゃんと見ない。ちゃんと見ないからひろゆきの動画も見ないうちにひろゆきのことを否定してしまう。
そういう傾向って小説を書いたり出したりしている文芸界にもすごくあるなって思うよ。
純文学作家で、名前は言わないけど(芥川賞作家と芥川賞選考委員の誰か)、
「お前、言ってること、パヨクだよ」
っていうのがいる。
小説を書くなら安倍晋三のことを、彼が今、どんな精神状態にあり、どういう都合があり、どういう立場にある、どういうことに悩んでいて、どういう決定を下さなければならないかって人間的に捉えるべきなんだけど、全否定してしまったりする。
あとは文学の書評家にもいるね。小説を読み込む力はあるのだろうけど、誰かへの嫌悪感丸出しの下品なツイートを見ると、
「う〜ん、この人、ホントに小説読めんのかな…」
と思っちゃうよ。
だってさ、文学は性犯罪者であれ、虐殺者であれ、主人公にできるものだからさ。だから文学者は人間を否定しない。
だから政治的発言をしている作家の小説ってほぼ確定的に面白くないよ。面白いものを書ける作家はどんなクソな人間にも興味を抱くのだから、それが政治家であっても政治的なことより人間的な興味が先行するはずだから。
まあ、それと同じ理屈でフェミニストを自称したり、肩書きにしたりする人って、自分に対峙する人間のことを考えられない人なんだと思う。
だから「主義」に酔いしれて、それを行動原理にするよね。
ところでアタシはフェミニストじゃないよ。
仕事は女性限定でしか受けてないし、女性相手の仕事しかしないけど、フェミニストじゃない。
アタシは単に女のひとが好きなガチレズなだけ。
自分が女のひとと一緒にいるほうが居心地が良く、対して男といるときはあまりおもしろくないってことで自分が好きなほうを選んで生きてる。
まあ、そういうこともあってか、女のひとにはかなり面倒見がいいと思うんだけど、どうかな?
ダメダメな人には結構ズバッと言っちゃうときもある。でもそれは女のひとが好きだからだろうね。嫌いで興味なきゃ、無視するから。
でも長年そうやって女性相手に仕事をしてきて思うのは、日本女性って主体性が薄すぎるってこと。
ヒステリックなフェミニズムが出てくるのも実はそこに根っこがあるようにも思う。
フェミニズムなひとって男を敵視しがち。だから男を押し下げて女を無理に上げようと考えるよね。
でも成功しないじゃん。
どうしてかというと、日本女性の主体性が弱すぎて、底上げしようにも日本女性がそれに対応する実力がないからだよ。
そうなったのも日本の歴史的なものがあっての結果だとは思う。ただそれを仕方ないと思うのか、これからは変わっていこうかと思うのかは大きく異なる。
変わっていこうというなら主体性はマストなんだよ。それがなきゃできない。誰かにやってもらってというのでは駄目。
そこの歪みがちょっとパヨク的なヒステリックフェミニストを量産してしまうところだと思う。
それに対して人権破壊派のようなネトウヨ系がこれまた雑な考えて暴言を吐くみたいなやりとり。
そんな状況だから「男女平等」ってことがどういう意味かっていう考察すらできてない。
そもそも男女平等って実現可能なの?
だって、体の構造はまるで違うし、セックスの役割も別。
平等を究極に推し進めれば、女は妊娠するべきでないから、出産は体内でするのではなく、培養液で胎児を作れるようにしようとかそんなことになるよ。
そもそも体の仕組みが違うものを平等にって無理なんだよね。
で、社会的に平等ってことならあり得る。そこそこ実現している国もあるよ。
わたしが知る中国なんて男女差はそこまで感じないかな。
でも、社会的な男女平等となってもやはり体の構造が違うことから不具合は出てくる。それを社会的理解で解決しようと思うと「生理バッジ」みたいな無理やりなものが出てくる。
「いやいや、それ、女のひとのほうが望まないでしょ!」
という簡単なことに気づかぬまま、フェミニスト的な発想が跋扈する。
夫婦別姓なんかもそうでさ。
夫婦別姓はあっていいけど、それをごり押しするのもどうかな。
というのは、そこまで夫婦別姓を望んでいる女性がいるのかっていう現実問題があるから。
夫婦別姓にしてほしいという意見が9割を超えるような多数派になればその主張もごり押しでなくなるけど、今だって結婚して名字が変わることにときめいちゃってるひとも多いよね。
だって30代で結婚できていないと、メチャ焦るってひと、多いじゃん。それでボッタクリのプライスの結婚紹介サイトに登録しちゃってさ。
そんな女の結婚願望って、フェミニストが思う男女平等と真逆なんじゃないかな。
だから性差をイデオロギー的に捉えてしまうとヤバいんだよね。もっと文学的に捉えないと。
人間がどのように感じ、どのように行動するのか、それを分析できるのは文学だから。
なので、今回、ひろゆきに絡んできたフェミニスト系の人たちって総じて文学的じゃない。かと言って論理が通っているわけでもなく、単に好みで言いたいこと言いたい浅はかなイデオロギー的な感じがする。
そこに同調する人は感情的に支持するだろうけど、言っていることの論理性を考えたら明らかに誤謬なんだよね。その誤謬をひろゆきはプログラマー的論理力でチャチャを入れつつ反論している。
そして結局、ひろゆきにイチャモンつけた人は言っていることに論理性がないから、論理的な問いかけをひろゆきからされると答えられない。返事しないでスルーしてしまうか、非論理的な意味不明な返しをするだけ。
とまあ、そんなバッシングが起きてしまってビビったハフポストの編集部はインタビューの後半をこんな説明文付きにした。
これ、メディアとして終わってるよね。企画したほうがバッシングにビビって言い訳してどうするんだよ。
これだったら盗作疑惑なのに芥川賞候補になった小説を守り通した群像編集部のほうがまだマシだよ。まあ、あれもかなり無理筋だったけど。
でもさ、インタビューを依頼したほうがこんな言い訳するって、保身が強すぎるよ。
これ、ひろゆきに失礼じゃん。
だって、依頼されたから話しただけだし、編集部だってひろゆきの考えを聞こうと思っての企画でしょう? それをこの言い訳って情けなすぎるし、無責任だよ。
結局、報じたほうがこうやって言い訳的なことをやらなきゃいけないことを考えたら、フェミニストの行いってネトウヨの恫喝と似てるんじゃない?って思われるよね。わたしはそう思ってるけど。
立場が違っても相手を意見を聞いてみようという姿勢がないんだよ、ヒステリックなフェミニズム系は。
わたしは着物でトランスジェンダーみたいなことをやってるけど、きっとそういうのが反射的に嫌いだっていうひと多いと思うんだよね。
でもわたしは別に気にしない。だって、嫌だって言ってるのを無理に理解してもらおうとも思わないし、嫌いだっていう気持ちもわからなくはないかなって思ってるから。まあ、真正面で嫌いって言われたことないけどね。
同性愛だってさ、わたしはなんとも思わないけど、男同士がキスしたり、女同士が抱き合ったりするのが皮膚感覚的にもう嫌で我慢できない!っていう人もいる。
それは仕方がないんだよ。嫌いなものをさ、イデオロギーで認めさせようとするのも傲慢な話だし、同性愛を憎むのは間違いだ!ってごり押しされるのもされたほうは気の毒だよね。嫌いな食べ物を無理やり食べさせられるのと同じようなものだから。
好き嫌いとか感情が入るとそういう悲劇になるから、論理的に、余計な感情をなくしてクールに考えなければならない。
ひろゆきはそういう人間だとわたしは思うよ。だから、ひろゆきが差別的なことを言ってるなんて全く思わないし、本人だってそんなつもりはないに違いない。
彼のお母さんの話だって、あくまで事例の一つをあげただけなのにね。
そこをクールに理解せず、ヒステリックに非論理的なイチャモンをつけてくる側にわたしは問題があるかなって思っております。
フェミニスト系の精神構造がちょっとパヨク的かなって感じたりしてるんだけど、まあ人って変わらないからね。そういう人はほぼずっとそうだよ。自分の中でよほどの精神革命が起きない限りは人間は変わらない。