結月です。
夜は窓の外から雨音が響いていたけれど、朝になると雨は上がっていた。
やっと外に出られると思いつつ、スーパーは新型肺炎のために米や乾麺などはソールドアウト。
みんな怖がってしまって、もし封鎖でもされたら食料がなくなると思い、爆買いしてしまうのである。
中国のひとは思考が大陸的単純さがあるからなぁなんて思ったら、
「いやいや、日本も納豆がダイエットにいいとかテレビでやると、スーパーから納豆がなくなるなんてことがあるか…」
と、人のことは言えないと猛省。
ただ、浙江省でも物流に影響が出てるのか、野菜も値上がり。
とは言っても、街は混乱もなく穏やかだけどね。
さて、雨も今のところ止んでいるし、新年の3日目であるから、そろそろ飲食店も開くだろう。毎日、家で食べてたから、今日は外食したいね。自分で料理するのも飽きてくるし。
こちらの飲食店で3歳の愛娘にジュースをオーダー。すると1.5リットルのペットボトルがドカンとテーブルに置かれる。
ああ、大陸だなぁ。
小さい概念がないんだよね。だからグラスで出てくることなんてない。日本は小さい概念ばかりだよね。
どちらがいいとかでなく、それぞれのいいとこ取りできればいい。
しかし人間はそんなに合理的になれなくて、無駄とはわかっていてもグラスじゃケチ臭いから1.5リットルでなきゃ恥ずかしいとか、そういう「気分」みたいなものにこだわってしまう。
確かに気分を配すると無駄はなくなるけど、おもしろくはなくなる。
でも3歳児には1.5リットルはデカすぎて、結局そのほとんどを持ち帰ることになり、
「ああー重!」
みたいになる。
まあ、こちらは外食するとなれば大人数が基本だったりするのでペットボトルに整合性はあるんだけどね。上海などの「おシャンティ」な店は別として。
ところでスーパーには肉まん屋があって、蒸し立てのアツアツが買える。そんな肉まんをビニール袋から頬張る。
中にはピンポン球くらいの肉が丸められて入っている。
日本の感覚だと小さな肉だけれど、中国では肉まんは肉よりも皮が大事。これは水餃子も同じ。実は肉ではなく皮を味わうものなのである。
開高健がエッセイで当時の東京にある中国人の店でワンタンを食べ、肉が少ないことに、
「皮が厚くて昨今の中国人も駄目になった」
なんてことを記述している。
これは開高の間違い。皮が厚いのが正しいのである。
そして、開高が行きつけたという店はお肉たっぷり。これは日本人の店。
皮のテイストが大事な中国にとれば肉少なめが当然。
そんなネイティヴ感性を生まれながらに持つのが、ハーフであるうちの愛娘。
この3歳児は肉まんが大好物だけれど、中の肉は要らないと取り出し、皮だけ食べるという大物ぶり。
さてさて、そんな3歳児を連れて、雨が止んでいるうちに出かけよう。