結月です。
夏生まれのくせに夏の暑さが超絶苦手だけれど、しかし気温も35℃が平然と超えると得意不得意の話でもなくなってくる。それなのに甲子園で野球をやってる奴はアホだと思うし、さらにそれをスタンドで観戦しているのはもっとアホだと思うわたし。
そんな暑さの中、早く夏が終わってくれないかとベビーカーを押しながらつぶやいていると、午後の2時だというのにその陽射しが何となく黄昏めいていて、夏は終盤に入っていると感じた。
お盆を過ぎれば晩夏だから、そりゃ、そうだ。
そんな今月末には男体山に登るから、少しでも気温が下がっていてほしいと願いつつ、現在進行形で暑すぎて体づくりもままならない。
室内でできることはないかと2歳児に笑われながらスクワットを始め、一日に合計して200回は必ずやるようにしている。やり始めて二日目には慣れてきたのか、そんなに苦しくもなくなってきて、ワンセット20回はさらっと終えられる。
しかし、筋トレはやると全体をやりたくなるものらしい。
スクワットは太ももの筋肉を鍛えるにはよく、やるとやらないでは違うものだと思いつつ、すると今度は腹筋や背筋、さらに腕の筋肉が取り残されていることに違和感が出てくる。
腰より下は良くなってもその上がどうにも運動不足で鈍りすぎていて気持ちが悪いのである。
だから、腹筋をしたり、腕立てをしたりもし始め、それらが山登りにどれだけ必要かはわからないけれど、体全体の調和が取れてくるとわかる。
これはきっと整形手術と同じで、一重まぶたにコンプレックスを持ってプチ整形してしまうと、今度は鼻や顎が気になってくるということなのだろう。
高須院長がどこかで「整形は一気にやらないとダメ!」と言っていたが、なるほどと思う。
何事も調和だから、山登りがいくら太ももが大事だからと言って、そこだけ突出すると体が調和しなくなって腕や腹筋に違和感が出るのである。
家でやる筋トレも簡単なもので、それでも体は良くなっていると実感できるのだから、
「ほほぉ〜」
なんて、自分の変化に少し喜びを覚える。
しかしながら、こうした筋トレは心肺機能の向上にはあまり貢献しないだろうから、やはり自転車で長距離を走るなど心臓をどうにかしないといけない。
ところでボディビルで肉体を鍛え上げた三島由紀夫のことを石原慎太郎が、
「あんな肉体はサッカーもできないし、ボールも投げられないし、走ることもできない」
と言っていたが、なるほどそうだと思う。
三島は肉体美を追求してボディビルをやったけれど、筋肉だけの虚飾で、実用的な肉体の強さではなかった。
そんなことを思い出して、心肺機能が伴わないスクワットだけの筋力では山なんか登れるはずはなく、お盆が明けたら限られた時間で自転車でトレーニングせねばと思いつつ、もともとが常人以下すぎる体力だからスタートはゼロではなくマイナスなわけで、よくそんなんで山なんか登ろうとするものだと自嘲する。
それでいてやり遂げないと嫌な性格だから、登ると決めたら本当に登りきらないと気が済まない。
もし今回、体づくりも間に合わず、暑さで参って登りきれない結果になったとしたら、間違いなく体を作り直して10月あたりに一人で登りに行って山頂に立つに決まってる。
「未処理」になっていることが腹立たしく、我慢ならないのである。
「ああ、やっぱアタシにはサラリーマンは無理だわ」
と思う。
サラリーマンなら未処理でも給料をもらえるじゃないか。そんなたるんだのは嫌だし、かと言って未処理を処理済みにするためにサービス残業したり休日出勤するようなことはしたくないから、サラリーマンはやれないと自認している。
しかし、わたしみたいな人間は目的がないときは見るも無残なグータラになるわけで、駄目人間の王道となり、お酒と猫に溺れることになる。
そんなことはさせまいと神様はわたしに山登りをさせたり、さらには2歳児の面倒を看させるなどするわけで、できるだけ駄目人間である時間が少なくなるように計らっているのである。
精神も筋肉と同じく、使っていないと運動不足になる。だから何か欲望の対象となる目的がなければならず、それがあれば精神は奮い立ち、
「あの人、生き生きしてるよね」
ってことになる。
とまあ、部屋の中で2歳児に笑われながらスクワットをしているのも精神は駄目人間になっていないってことでね。