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モーツァルトの美しさの中でウンチする2歳児

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結月です。

いよいよ明日から保育園が9日間休みになるデスロードが始まる! 

クソ暑すぎて、外出が困難な真夏の休みはいかに2歳児と時間を潰すかが大問題で、暑くなければ行けるお約束の「とちのきファミリーランド」にも行けない。行けば炎天下でたちまち参ってしまうだろう。

かと言って、家の中にずっといるわけにもいかず、それでいて近所のスーパーでさえ、ベビーカーを押すには過酷。

クルマで遠出したいけれど、日本全国暑いわけでちょっとマシといえば奥日光くらいなもので、しかし2歳児がクルマで静かにしてくれる耐久時間がビミョーなところで、誰か後部座席に座ってくれるひとに来てもらうしかない。

そんな事情の中、明日からどうするか具体的なプランが思いつかぬまま、畳の上に寝転がる。

さて、保育園から帰るとテレビはつけず、クラシックのCDをかけるようにしている。そして台所に立ち、食事をし、それから寝る前に絵本を読むまでずっと音楽をかけている。

CDのチョイスは愛娘に任せていて、CDラックから適当に選んでもらうときもあれば、尋ねるときもある。

「シャンシャン、何聴く?」

と言うと、

「とけー」

と返ってくる。

「とけー」とはつまりハイドンの交響曲「時計」であり、気に入っている様子。

それと「時計」は言葉として知っているからだろう。もし2歳児が、

「ツァラトゥストラはかく語りき」

なんて答えたら気持ち悪い。

CDラックから選ぶときは、そのジャケットの絵面や文字で選んでいるのだろう。

ラジカセへのセットもお願いしていて、自分で椅子を持ってくると背伸びしてラジカセのボタンを押し、CDをセットすると再生ボタンを押している。

もうわたしには音楽的な感動はほとんどないし、こだわりもないからクラシックであればどんなものをかけてもらってもいい。だから2歳児に任せる。

昨日は食事をしながら、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と21番を聴いていた。

ハイドンもいいけれど、ハイドンから続けてモーツァルトにすると、いかにモーツァルトが美的なのかがわかる。

どの音を取っても美しくて、神々しくて、人間の世界を超えた音楽になっている。

しかし、20番の第2楽章は有名だけれど、死にたくなるほど美しい。こんな旋律を書けちゃうなんてね。

そんな第2楽章になって箸を進めていると、2歳児が、

「おおきいうんち」

と言いだし、必死に気張っている。

「ゲッ!今! ちょうど旋律が最高に美しいところなんだけど!!」

と、最もいいところでわたしはウンチたっぷりの紙パンツを取り替え、お尻を拭く。

おお!なんとこの旋律からかけ離れた臭い! 人間の世界を超えた神々しさから遠く離れたあまりにも人間的なウンチのスメル!

「これって、新たなスメハラ!?」

と思いつつ、トイレにウンチを流しに行くと、第2楽章のいいところは終わっている。

でもさ、モーツァルトの音楽って、存在することが不思議だよね。あんな音をこの人間界にもたらしたっていうのが奇跡っていうか、神の意志だね。そうじゃないと説明がつかない。

モーツァルトその人はもちろん人間だったわけだけど、あの音は神のもの。神の音楽を受信するパラボナアンテナの役割として人間界に授けられたんだろうな、モーツァルトは。

そんな神の音楽は、2歳児のウンチにも微笑みかけるように高く、高く、高いところにあって、何も気にしちゃいない。

気にしているのは人間界の人間たるわたしであって、あと10分ウンチを待ってくれたらなんて思っているのは、下界ならではってことなのよね。

でも、モーツァルトの旋律も気にせずウンチができるっていうのは、2歳児がまだ神の世界に近いからなのかとも思ったり。

人間は成長に伴ってゲスを知るようになり、美しさからかけ離れ、美しさを求めてしまうのだから。

 

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