結月でございます。
愛娘の2歳児は随分言葉も話すようになったおかげで、会話が成立するようになり頼もしくなってきた。
そんな2歳児は保育園に預けている間以外はわたしがずっと育児をしていて、つまり保育園の時間と寝静まった夜中が自分の時間として仕事などに打ち込める。
世間では虐待など子供にまつわる悲しいニュースは絶えないけれど、もともとサイコパスな親もいれば、ノーマルなのに虐待してしまったということもあると思う。
小さい子供は思い通りにならないものだから、次第にイライラしてカッとなってということが積み重なり、悲劇的な環境になるのだろう。
育児をしていてわかったのは、育児とは暇でないとできないってこと。
保育園に預けてどこかに仕事に出て、その職場でのストレスを抱えながら保育園に迎えに行き、さらに晩の食事を作ってなんてのは、普通に考えて正常なメンタルを維持するのは難しい。
人間にはそれぞれメンタルに限界点がある。その限界点に達してしまうのは、その人の持つ性格にも左右されるけれど、ともかく限界点に達し続けるとおかしくなる。
性格が暗くて、ネガティヴだと考えなくていいことも考えてストレスを自己培養するし、知識や教養がないと子供を客観的に見ることができなくて意識なく愚かな行動に走る。
それぞれがそれぞれなのでどの要因で限界点になるかもそれぞれとしても、勤めの仕事でストレスなしでというのはほぼ無理だろうから、それを発散させることもできない状態で子供に接するのは大変デンジャラス。
手前味噌なことを言うと、わたしは勤め人じゃないし、自分で自分の仕事を生み出して生きているからストレスがない。自分の時間は全てコントロールできるから、能天気な気分で毎日夕方になると保育園に迎えに行っている。
それでも子供がいると、キビキビした仕事はできないため、やれる内容も制限される。しかしそれはしょーがないと思って割り切れているので、多くは求めず、むしろ今の環境だからこそできることをやろうと考えていて、そういう意味では東京ではできなかったことを今はじっくりと取り組んでいる。
だから、夕方から2歳半の愛娘のわがままに付き合っても心の容量がたっぷり残っているから限界点に達するなんてことはなく、バッテリー十分で悠々と育児ができる。
もし、仕事で欲を出して自分を追い込んだら、きっとそこでバッテリーを使いすぎて子供に向き合うエネルギーは残っておらず、その状態でイヤイヤ期なんて受け入れてやれる余裕はないと思う。
だから、わたしは無理はしないようにしていて、頑張れば稼げるとしても今が子供にとって大事な年頃、つまり三つ子の魂百までゾーンなのだから、自分がピリピリしない環境を作ることにしている。
しかしながら、勤めの仕事などで生活しているママさんたちは大変だと思う。それに日本は亭主が育児や家事には基本参加しないお国柄だから、軽く限界点は超えてしまうだろう。
精神的にキツキツの状態では育児も当然ながら、教育なんてできやしない。
育児は子供の肉体的なサポートだとすれば、精神的なそれは教育であろう。
文字の読み書きなどはもちろん、情操教育も大事で、思うに2歳から5歳にどういう過ごし方をしたかで、大人になった姿が決定する。
だから目先のものに囚われて今という時期に的確な教育を施せなければ、子供だって大人になって困るだろうし、親だって育てにくくて困るだろう。
そういう長期的視野で見ると、目の前にある金よりも今は子供のことに専念したほうがいいとわたしは考えている。
とはいえ、そんなことができるのは本当にそれは特殊な事例で、多くはわたしみたいに暇を作れる環境でない。
2ちゃんねる開設者のひろゆきが少子化対策として子供が生まれたら夫婦に国が1000万円渡すということを言っていて、これはわたしも賛成。
ひろゆきが言うには、そうすると教育環境も良くなり、ちゃんと子供が育ったら大人になって1000万円など税金で還元してくれるから、そうした補助で親の負担をなくし子供を増やせるようにしたほうが将来の国としてもいいという考え。
しかしながら。日本の政治は目先のこと、目先の選挙のスパンでしか行動しないので、それは実現不可なのだろうけど、1000万円もらえれば、余裕を持って育児に専念することができるに違いない。
自分が好きなことで、楽しいことに対して限界点を超えてまでやることはいい。しかし、行きたくない職場のストレスで限界点を超えて、その精神状態で育児をするなど、危険以外の何ものでもない。親の心理状況としては、すでにサイコパス状態になっているのだから、これはすなわち子供に接しちゃいけない状態でしょう。
そんなことを言っても来月の家賃のこともあったり、ようは経済的な問題が直面すると仕事を辞めるわけにはいかない。
もうこればかりは自分でうまくやるしかない。そもそも育児なんて暇じゃないとできないもので、仕事と両立させてクオリティが上がるものではない。
そんなことを思いつつ、わたしは自分をデザインし直して、東京でなく栃木でやっている。東京のコストなら、こんな悠長なことは言っていられなかっただろう。
でも、今の時点で大事なものは何かを把握し、そちらに専念するには今までやってきたことへも執着を捨てて、組成し直すのがいい。
何かに執着すると動きが悪くなり、いい結果も生まれなくなってしまうのだから、何かをやるには何かを捨てなければならない。
その割り切りと行動力があれば、なんとかなるんじゃないかな。