結月です。
本格的に夏。暑くなって、毎朝、保育園に行くためにベビーカーを押し、クルマに2歳児を乗せるまでにすでに汗だくになり、暑いのが苦手なわたしは運転席に座ると、
「ウゲー」
となっている。
駐車場は屋根ありなのでクルマが熱くなっていることはないのだけれど。
明日は土曜で、明後日はレッスンのために東京。
しかし、一週間の経過が早く感じられ、この間、那須どうぶつ王国へ連れていったばかりと思っていたら、まだ土曜じゃないか。明日はどこに行こうかと思い悩む。
暑いと行った先でも暑くてグッタリしてしまうからで、奥日光が涼しくていいかと思いつつもここからだと2時間を要し、2歳児がチャイルドシートで我慢できる時間のギリギリのところ。うまく寝てくれればいいのだけれど、起きていればうるさい。
とはいえ、明日は真岡夏祭りで盛大な花火大会がある。昨年、これに行こうかと思ったら台風が来てしまって延期になり、わたしは台風が近づく夕方に東京へ帰ってしまった。
今年がバッチリ見られるわけで、真岡という超どマイナーな土地のくせに花火大会は盛大という。
ちなみにわたしも真岡なんて地名を知ったのは関わるようになった数年前で、読み方も「もうか」と読むことすら知らなかった。
調べてみると、真岡で有名なのは二宮尊徳がいたとか、奥日光の男体山を開山した勝道上人の出身地ということくらいか。しかしどちらも今となってはどーでもいいことなので、どマイナーであることには変わらない。
しかしながら、花火大会の日には栃木全土から見物客が訪れるらしく、大変な人になるとのこと。
わたしの場合は幸い、マンションのあたりからそのまま見られる。
とにかく、愛娘が花火を見たいというから連れていこう。わたし自身は暑い外に出るのが億劫で、しかも花火なんて興味はないのだけれど、やはり小さいうちにそういうものは見せたほうがいいから暑くても外に出る。
ところで一週間が本当に早く感じられる。
仕事も新しいことを始めるのにその準備には早くて半年、まああと一年はかかるだろうからぼちぼちなんて思っている間にものすごい勢いで時間が過ぎていると感じる。
あと半年後なんて言っても、それは24週後というわけで、一週間がこのスピードだと24回はすぐに訪れる。ということは、この暑さもいつしか涼しくなり、24週後には寒くなっている。
こういう感覚はタイトルマッチを待つプロボクサーとか、ペナントレースを戦うプロ野球選手と同じなのかもしれない。
チャンピオンに向けて、もしくは優勝に向けて進んで行くそれは時間の単位がきっと一週間ではと思う。少なくとも一ヶ月という大きな単位では生きていない。かといって、一日単位では息切れしてしまう。
普通のサラリーマンは同じような仕事がずっと続くので、おそらく一年単位で大晦日とお正月じゃないかな。
ともかく、わたしは一週間単位で生きている。
一年は48週だとすると、思いのほか、一年でやれることは人間には少ないのではないか。それを認識しながら過ごしているかどうかで人間は変わってくる。
一年を大きなものとして漠然と生きているとおそらく老ける。そして惰性になる。
しかし、短い一週間の積み重ねで、それが立ったの48回しかチャンスがないと感じると、結構自分にシビアになり、いろんなことができる。もちろん老けない。老けてる時間がない。
そう言えば、6月、雨で登ることができなかった結美堂山ガール部の男体山もいつしかあれから6週間が過ぎて、もう一度男体山へ行くまであと4週間に迫っている。
このクソ暑い中、体づくりをするのはなかなかハードだけれど、それもたった4週しかない。
山登りでさえ、年明けから「今年は男体山だね」なんて言いながらもう一年の半分以上が過ぎ、要するに今年は山ガール部として一度も山に登れちゃいない。
つまり、人間は一年にやれることなんてそれほどないわけで、だからこそ普通以上の本気で生きておかないと、結局何もしなかった人間になってしまう。
チャンスっていうものは少ないものなんだ。
チャンスが少ないことを認識できていると、決断に迷ったりすることがない。なぜなら、迷う時間がもったくて仕方がないから。
暑いなんて言ってられない。そう言っているうちに涼しくなり寒くなっしまう。
「ゆったり生きようよ」
みたいなクサいコピーがありそうだけれど、騙されちゃいけない。それは会社のくだらない仕事など、生産性が低いくせに忙しく、仕事の成果も実感できないくせに休みがないような無駄な忙しさの言い訳であって、本当は意味のある忙しさで、もっとガツガツ生きるべきなんだ。
意味あることに忙しくなる。これが大事で、朝早く起きて、最寄り駅までそそくさと歩き、満員電車にもみくちゃにされることは意味のある忙しさなんかじゃない。
悠々と急げだよね。
悠々と急がなくちゃ。