結月でございます。
いつだったかNHKの特番を垣間見て、それはDNAの話だった。子供のDNAは両親から譲り受けたものだけでなく、そこから一部で突然変異して親よりも進化するといったことを言っていた。
子が親より劣っているようじゃ、しょうがないよと思うけれど、それは二人から遺伝を受けているのだから、そりゃ、子は親を超えてなくちゃおかしい。
ともかく、時代がこうして進歩していくのも遺伝が受け継がれるだけでなく、二人分のDNAが合作することでより優秀になっていくからなのだろう。
根本的にはそういう仕組みになっていて、あとは教育とか育つ環境という後天的なものが大事になってくる。
さて、愛娘の2歳児は保育園が終わり家に帰ると、クラシックを1時間ほど聴いている。それはわたしが晩御飯を作り、そして食べ終わるまでと決めていて、テレビはつけない。
このところハイドンの弦楽四重奏を聴かせていて、嫌だとは言わないから嫌いではないのだろう。
絵本の中にバイオリンを弾くキツネが出てくると、
「これ、いっしょに、やる?」
と訊いてくるが、
「いやいや、アタシはもう弾けるんで…」
わたしのレッスン用バイオリンは何度か触らせたから、そのせいかもしれない。
しかし、着物は見せていないのに1日に一度は、
「ピンクのきもの、ほしい」
とうるさい。
アンパンマンのDVDでもウサコちゃんが着物を着ていると、あれがほしいという。
「わかった、わかった。来年の七五三で誂えてあげるよ」
ともかく、不思議とこういう遺伝はあるのだろうと思う。
わたしが長年かけてやっと習得したスキルや知識を愛娘は2歳半からもたらされる。そりゃ、親を超えてもらわんと困るよ。
しかし、わたしが得たゴールが2歳半でスタートになるというのはものすごいアドバンテージだと思う。
小学生くらいになったら着付けも教える。
こんな田舎じゃ、着物なんて着て出かける場所もないから、東京へ連れていくときは着物を着るようにすれば、必要とあればいつでも着物を着て行動できる女になるだろう。
バイオリンもバイオリニストは目指さないが、脳トレとしてはやらせると思う。いや、放っておいてもやると言うだろう。
本好きも遺伝なのかわからないが、毎晩、絵本はよく読む。昨晩もわたしのほうが、
「もういい? 寝よ…」
と、ギブアップ宣言しているのに、
「まだ」
と言って、どっさりと絵本を運んできて、わたしの元にバサリと置く。
本も長年かけて読んできた文学的知識がそのまま案内されるのだから、これもアドバンテージだと思う。
中学生になるまでに誘導しておけば、あとは勝手にやってくれるだろう。わたしと同じことを改めてやってもつまらないのだから、自分で勝手にやりたいことをやって、自分の世界を築き上げてほしい。
ただ、そのためには飛行機が飛び立つには滑走路やカタパルトが必要であって、飛翔のために幼少期に親がどれだけの準備をしておけるかにかかっている。
なぜなら、そればかりは小さな子供は自分でできないからであり、親の仕事ではないか。
短い滑走路では高く飛翔できない。
それにアイデンティティが重要で、自分がどういう人間で、何をやりたいのかはっきりしていないと、社会人になって空虚になり、いきなり自分探しの旅に出かけてしまったりするどーしようもない女になってしまう。
さらにはいい大人になっても占いにハマったり、自分で考えずに易にばかり凝るアホになる。
子供の頃に基礎教養がないとそうやって自分が何者かわからない空っぽな人間になり、
「やりたいことがわからないんです」
みたいな質問をするようになり、自己啓発本の愛読者になってしまう。
わたしが愛娘に提供できることは自分がこれまでやってきたことだけであり、それ以上のことはできない。しかし、今までたくさんのことをやってきた自負はあるから、中学生になるまでには十分供給しても枯渇することはないと思う。それにわたしだって終わっていなくて、今も尚、やったことがないものをやってみたくて、それをやるために進化しているからネタは現在進行形で増えている。
しかし、いずれ子には敵わなくなる。
それに愛娘は半分は中国の血も入っていて、今後中国文化も吸収し、異文化を融合させていくだろう。それはわたしにはもうできないことだけど、あいつはやれる。
ただし、昨晩、キツネがナマズから水泳を習う絵本を読んでいて思った。
「泳ぎはできないだろうな…」
泳げないわたしを継承して、愛娘もきっと泳げないとそのオーラから感じた。