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コンプライアンスと義理人情は相容れないよね。

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結月でございます。

なんかこんなことになってるみたいです。

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闇社会と関わるととても面倒なことになるのはいつの時代も変わらぬことで、だから関わらないに越したことはないのだけれど、気の毒だなぁと思う。

今の日本ってすごく世知辛くて、なんでも謝罪させようとするし、それもコンプライアンスからの見方で正論ぶってくるから、そこで人間的なものが否定されてしまって追求されたほうは得てして泣いてしまう。

娼婦に石を投げるならっていうイエス・キリストの逸話の観点から見れば、最悪すぎるのが日本社会で、潔癖でもない人間が盛んに石を投げるんだよね。

さらに復帰が難しい社会でもあって、一度でもミスをすると叩き落とされてしまう。再チャレンジっていう言葉はどこに行ったのだろう?

人間はミスをした後のほうが俄然、成長するので、一度のミスで全てを潰してしまうというのは、人材的にもすごい損失で社会のためには良くない。

さて、今、コンプライアンスとかがうるさくて、とても世知辛い日本。企画だっておもろいことを思いついても、コンプライアンスを気にして結局角の取れたものになってしまう。

あとはどーでもいいことなのにそれを遵守しようとして無駄なコストがかさむとかね。

社会にエネルギーがないのは、コンプライアンスを気にしすぎて、勝負できなくなってるから。

景気がずっと悪いのもそこに一因があって、勝負しないで無難以下のことしかやらないんだから、大きな仕事は生まれず、大きな利益が出ない。利益が出ないとやっぱり景気は悪いまま。

とはいえ、こうなったのもかつての日本がデタラメすぎたからで、そこに闇社会が跋扈したり、ひどすぎたからなのよね。いやいや、闇社会だけでなく、一般企業もかなり無責任でひどいことをやってたと思うよ。

そういうことを是正しようとして、今度は世知辛くなりすぎちゃったわけ。

ところで人間には義理人情ってものがある。国によってそれがあまりなく、なんでも事細かに契約でガチガチにしないと信用できないってところもあるけれど、日本は根本的に義理人情の国かな。

今回の芸人さんが仕事を受けるのも後輩からのオファーで、

「お前の頼みなら、やるよ!」

みたいな人情だと思うのよね。

そして宴会に行ったら、そこに客がいて、それは同時にファンだったりするわけで、その現場で自分の登場を喜んでもらうとやっぱり芸人としては嬉しいだろうし、嬉しくなると人情が出てくる。

相手が闇社会であっても、喜んでもらうと嬉しいものだと思うよ。

それはお客さんとして喜んでもらったわけで、その人がどんな仕事をしているかは芸を見せるシーンにおいては関係のないこと。

だって、それを言い出したらテレビなんて全部アウト。どんな人間が見ているかわからないメディアなんだから。

ともかく、義理人情で行動するって、人と人との結びつきは強くなるよね。

一方でコンプライアンスとかいうのは、とてもドライなもの。そこに人情はないです。

なので、会見が開かれる前は、コンプライアンス的な批判がすごく多くて、闇社会を相手にしたのはルール違反だから罰するべきみたいな論調だった。ルール違反はルール違反。だから問答無用みたいな。

そこで思うのは、非人間的なコンプライアンスをかざして批判する人も、実は日常生活や会社の仕事でコンプライアンスに縛られて息苦しい思いをしているわけよ。

だから、自分もそれを遵守しているんだから、違反した奴は潰せとなる。

でも、息苦しいことには変わりがない。

なぜ息苦しいか?

それは義理人情が否定されて、自分も助けてもらえない社会に生きているから。

義理でやってあげたいこと、人情で助けてあげたいこともすべてコンプライアンスで否定される。

そうすると人間はどんどん殺伐としてくる。

本当はみんな義理人情を求めている。

ドライな世の中で人が冷たくなったという声もある。

それなのに義理人情を発揮できないわけ、今の社会は。

もし義理人情で仕事をしたら、後でコンプライアンス的に面倒になるから、情は殺して、ドライになれと教わる。

だから、闇営業をやった芸人がすごく叩かれる。

つまり、今はね、コンプライアンスを強要されながらも、どこかで義理人情を求めているわけよ。

それは明らかに矛盾し合うもので、融合することはない。

そんな矛盾の中で生きていれば、そりゃ疲れるよね。すごくやりにくいのは当然だよ。

純粋な感謝の気持ちで何かを差し上げようとしたら、利益供与と見なされるから受け取れないんですとかね。

やましい気持ちはないものでも、ヤバいものとして処理されてしまう。

こういうの、なんて言うのかな、一口で言って、すごく寂しい気持ちになる。

感謝の気持ちを受け取ってもらえないとかね、その物品に感謝の気持ちを込めてもダメだなんて言われたら寂しいよ。

確かに悪どいやり取りもあるけれど、すべてがそういうわけではない。それなのに今はコンプライアンスの名の下、まるで抗がん剤みたいに殺さなくてもいい細胞もまとめて皆殺しにするみたいなことがやられている。

人間的に考えるとさ、後輩が持ってきた仕事なら多少ヤバくてもやってやるよってとこあるよ。

そんなやり取りで信頼関係って深くなっていくよね。

そういうことを否定されて、やれなくなっているから、今は社会の中で信頼関係が希薄になっているんじゃないかな。

「あんたのためやったら、やったるよ」

っていう浪花節ね、そういうのがなくなってきてる。

そんな世の中がドライで生きにくいから「優しさ」とか「絆」とかを無理やり持ち出している気がする。まるで後付けするかのようにね。絆とか言ってる奴、大体嘘つきだと思っていい。

まあ、みんなが守りすぎなんだな。本当は守るほど大したものなんて持っちゃいないのに、カッコつけて守りすぎだよ。

それくらいひと肌脱げって思うけど、それも怖がるほど自分を守りすぎ。

守りすぎだから、ノリが悪い。

「これ、やろうぜ!」

と、勢い出しても、

「いや、あれは、その、やっぱりああなんで、その…」

みたいなことになって一気にトーンダウン。

「これ、やろうぜ!」

に対して、

「嫌ッス!」

と、勢いよく返ってくるほうがいい。そしたら、勢いそのままで、

「そうか、駄目か!」

で、気持ちよく終われる。

みんなどこかで義理人情でやりたいのに、自分を守ってやらない。

こんなメンタルが日本中に蔓延っているのなら、うん、日本の経済は上向くことはないわな。

と、二人の芸人が会見をしたことに思うのは、引退なんかする必要はないよ。あなたたちを批判できるほど、世間は潔白じゃないから。イエス様の言う通りよ。

誰にだって失敗や過ちはあるから。誰にでもあるようなことで再起不能にまで落とされるのなら、それは闇営業なんかよりも社会のほうが悪質だから。

この世の中なんて、非の打ち所がないほど潔癖な人間なんかいないよ。非の打ち所ばかりの人間が非の打ち所があった人間を非難しているんだからさ、失敗は克服して、またやればいいんだ。

そういう社会のほうがきっと生きやすくて、それがつまり、

「最大多数の最大幸福」

ってことじゃないかな。

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