結月です。
昨晩、晩御飯を食べ終わると、ハイドンの驚愕交響曲のCDをセット。
ところで2歳児の愛娘とご飯を食べるときは、テレビはつけないようにしている。前はちょっとつけていたこともあったのだけれど、テレビがあまりにもつまらなく、いつ見ても同じようなクイズバラエティとかばかりで、本気でおもしろくないから完全にやめにした。
せっかく作った料理をつまらないテレビを見ながら食べられるのも作り手としては気分が悪いし、内容がいいものならまだしも、ためになることがなさそうな映像を2歳児に見せるのも無駄だしね。
しかし、今のテレビを見ている人ってどういうメンタルなんだろう? あれを見続けることができるってちょっとわからないなぁ。
あ、そうだ。うちの親がそうだった。テレビばかり見ている。テレビばかり見ていると、ああなっちゃうんだなぁ。
さて、うちでは基本的にクラシックしかかけない。2歳児にはシャンソンはアダルトすぎるし、セリフのある歌は、
「愛してる〜」
とか鬱陶しいので、セリフのないクラシックがいい。
昨日ハイドンにしたのは、さすがにマーラーは2歳児にはヘヴィーだなと思ったからで、ハイドン、モーツァルトくらいがいい。
ハイドンをかけると、2歳児はいきなり大喜びでエキサイトし、変な踊りをしながら布団にあった枕にダイブ。まあ、ハイドンは楽しいからね。
そしてソファに座って二人で続きを聴いていたのだけれど、
「おっきい〜 ちっちゃい〜」
を連呼する。
それは音量のことを言っていて、音量の大小に合わせてそう言っているのである。
このチビ、なかなか音楽を分かっとるじゃないか。それは音楽の本質なんだよ。その簡単な本質を意外と大人のほうがわかってないかもね。
音楽とは何か?
みたいなことはいろんな人がいうのだけれど、音楽の本質はね、以下のものでしかない。
・大きい、小さい
・長い、短い
・高い、低い
・速い、遅い
たったこれだけのこと。
音楽はこの4つでできている。大小は音量。長短は音の長さ。高低は音程。速度はテンポ。
それらがどのように変化しながら絡み合うかで音楽はできている。
その設計図が楽譜というわけ。
基本的に楽譜にはそれらのことしか書いてないよ。
あとはそれらがどう絡み合っているかによって、何を表現しているかってことで、しかし音楽は抽象的なものだから、具体的に何をってことも特定しにくいし、解釈は奏者によって無数にあるから決定できない。
決定できないからこそ、これまでたくさんの人が挑戦し、それが音楽の歴史になっている。
答えが一つしかないのなら、それをやったらおしまいになってしまい、そうなると歴史はできないよね。
ところで音楽にはクラシック以外にもたくさんある。でもね、クラシックの特徴は「大きい、小さい」だと思うよ。
ハードロックとかテンポはあっても最初から最後まで大きいばかりで音の強弱はない。テレビで歌手が歌っているのもそれほど強弱はない。演歌にこぶし的クレッシェンドがあるくらいかな。
でもクラシックは音の大小の変化が激しい。ピアニッシモからフォルテッシモまでめまぐるしく変化する。
だから、イヤホンでクラシックを聴きながら電車に乗ってもうまくいかない。ピアニッシモのところは電車の音でかき消されて聞こえないので、ボリュームを大きくするといきなりフォルテッシモで鼓膜が破れそうになったり。
音量の大小の幅がとても大きいのがクラシックなので、心の襞っていうのは増えると思う。だって、最初から最後までフォルテッシモなハードロックなんて聞いていたら、精神が単純になりそうだから。
さて、クラシック音楽にはアマチュアのオーケストラが日本にはたくさんある。アマオケの演奏は聞いていて退屈に感じたり、ほとんどが聞いてられなかったりするのは、音の大小が乏しいからってのが大きな理由のひとつだろうね。
それは技術的に楽器を鳴らしきれないとか、コントロールできないとか、強弱記号に気を配る余裕がないとかかもしれない。
ともかくアマチュアの演奏が単調で退屈なのは音の大小の幅がなく、同じような音量でずっと弾いているからってのがある。
まあ、言い出すときりがないけれど、あとは音程が悪いとか、テンポの速度がこれまた単調だとか、音の長さがバラバラだとかってことがあって、ほら、これってさっき音楽の本質として挙げた4つのすべてでしょう?
その本質がきっちりとできていないと聞くに耐えないもののなり、きっちりとしていればシンセの打ち込みだって結構聞けちゃう。
というわけで、音楽は、
・大きい、小さい
・長い、短い
・高い、低い
・速い、遅い
でしかできていないんです。
それを駆使できるのが才能ある作曲家であり、それを表現できるのが優れた演奏家であるということ。
でもさ、ハイドンの驚愕シンフォニーのアンダンテって、改めて聴いたらやっぱり名曲だねぇ。