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『君の名は。』はやっぱり名作だった!

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結月でございます。

昨日は日曜で、東京までレッスン。そして夜の8時半くらいに栃木に戻る。

途中で買った焼き鳥を食卓に並べ、2歳半の愛娘を膝の上に抱きながら、地上波で映画『君の名は。』を見始める。

やっぱりこの映画は名作だね。

劇場公開されたとき映画館で観たけれど、劇場で泣いてしまったよ。わたしは映画専門家として映画はかなりきっちりと観る。だから、いいと思う映画をろ過するそのザルの目はとても細かい。それゆえ、結構審美眼は厳しいのだけれど、『君の名は。』は映画館で観た後、出会うひとに映画館へ行ったほうがいいと強烈にオススメした。

さて、昨日はテレビだったので、やはりCMは鬱陶しい。せっかくじ〜んときているところにCM。感情移入しているところにCMで冷め、まだ感情移入して冷めるの繰り返し。

そして、うちのテレビはサイズ的には大きいほうとはいえ、映画館のスケールに比べると小さすぎる。映画とは映画館で観るべきものなのである。

大きなスクリーンだと、彗星が夜空を飛ぶシーンなど、リアリティと臨場感があるけれど、テレビだとどうしてもそれが出ない。

ところが、

「昨日、君の名は。観ました! 感動しました!」

なんて映画館に行かずにテレビで初めて観たひとが言ってきそうで、

「何もわかってねーくせにウザいよ。あっち行けよ。向こう行け」

と、あしらいたくなる。

映画というのはね、映画館で観るように作られているのだから、映画館で観ないでテレビやネットで観てもそれは観たということにはならんのだよ。

それに映画は劇場公開が終われば、リバイバル上映されない限りは映画館では観れない。チャンスは実に少ない。

古い映画などは名画座がなくなって、映画館で観ることはできなくなった。しかし、わたしは大昔の作品をフランスにいた頃、映画館でたくさん観た。その数は300本くらいだと思う。

フランスと言っても、都市に限るけど、パリやリヨンでは今でも古い映画を映画館でたくさんやっている。

黒澤明の『七人の侍』もリヨンの映画館で観たし、ヴィスコンティの作品もほとんどリヨンの映画博物館のスクリーンで観た。小津安二郎もパリのリュクサンブールで、チャップリンの『街の灯』や『モダンタイムス』もパリで観た。

若い頃のウディ・アレンの作品もカルチェラタンで観たっけ。

映画館で観なければそのすごさがわからないと痛感したのは、フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』。冒頭でヘリコプターに吊るされたイエスの像が空を飛ぶけど、あれは大きなスクリーンでないと、「意味ないけどすごい!」ってことがわからない。

そしてキャロル・リードの『第三の男』。ラストの地下水道のシーンはテレビの画面サイズじゃ、駄目だね。あとはドイツ表現主義の『メトロポリス』かな。

さて、『君の名は。』はテレビでも感動はしたけど、劇場での衝撃はなかったのは2度目というだけでなく、映画館でないからという理由が大きい。

でも、やっぱり映画としては傑作で、これは日本映画史上ベスト30には入れていいと思う。わたしとしてはベスト10に入る。

しかし、とんでもない脚本を書くものだなと改めて驚く。あんなすごい脚本を書くんだから。

映像美などもいいとはいえ、それは脚本あっての話。映画とは脚本で決まるから。

あれは福島原発事故が題材になっているわけだけれど、それをあそこまで噛み砕いてロマンにし、本当に時が戻るならああなってほしいと思う映画を嫌味のない描き方で撮るんだからね。

ところが芯はそこにあったのが、脚本にするうちにその題材はすっかり形を失うほど消化し、男女の意識の交わりなど映画としての魅力にまとまっている。

ちょっと油断するとオピニオンが出てしまうのにそれがまったくない。そこが素晴らしい。

同時期に公開された『シン・ゴジラ』はその対極にあるような最悪最低の映画だった。安っぽいオピニオンばかりで観るに耐えなかった。

芸術というのは、オピニオンになっちゃいけない。その心を突き動かすものがオピニオンだったとしても作品としてはそのオピニオンは見えなくなるほどに消化していなければならない。

さて、『君の名は。』は東京の描き方もすごくいい。本当の東京はあんな美しいものじゃないけれど、でも東京への憧れの気持ち、その非物質的なひとの想いが風景として的確に描かれている。

劇場公開されたときは、わたしは銀座にいた頃だったけれど、あの映画の東京は地方の田舎から見る東京への憧れで描写されている。

と、東京出身者だとあのような描写はできないだろうと思い、新海誠監督をウィキペディアで調べたら長野の田舎町の出身とのこと。やっぱりなと思った。

わたしも栃木に来てちょうど半年。地方目線で東京という街をリアルに見て、映画を観ながら、

「東京に戻るぞー!」

なんて気持ちになった。

でも現実的にはまた東京で場所を探して不動産契約してってことを考えたら、

「めんどくせー」

となってしまい、もう東京は十分に堪能したし、銀座の住民も14年間やったから、

「もういいや」

って気分になっていて、栃木は東京に近いから行こうと思えばクルマでサッと行けるため、ピンポイントでいいやなんて思ったりする。

そもそも銀座にいたときすでに東京的な遊びには興味なくなって、仕事が終われば家に帰るだけだったわけだし。

今は東京ではできなかったことをじっくりと取り組めているから、まあそちらが優先というわけで、さらに愛娘が育つには東京よりも栃木がいいと思うのはわたしの教育方針だしね。

でも将来、東京でピンポイントでの仕事が多くなるようにできれば、最低限寝泊まりできる場所と月極駐車場があっていいかなと思ったりする。

そんなのはまだ先だけれど、そうでないとお酒が飲めない。

しかし、愛娘、というより猫が3匹栃木にいるから、東京ではあくまで寝泊まりってことで。

そう考えると、実は不動産を借りるより、ホテルを使ったほうが安いんだよね。それはマイカーを持つより、タクシーのほうが安いっていう理屈と同じ。

なんてことを思いつつ、新海誠監督の新作『天気の子』が今月公開されるみたいで、一応観に行こうとは思ってる。

でも、正直なところ、予告編を見る限り、『君の名は。』は越えられてないだろうな。

いい映画なんだろうけど、『君の名は。』よりは落ちると思う。映画は予告編でちょっとしたカットを見るだけで、大体、その予想は覆されることがない。

『君の名は。』は何かの映画を観に行ったときの予告編で、瞬間的に、

「すごい! これは観に行く!」

と思ったから。

映画に限らずだけど、ものすごい作品を創ったその次の2作目以降が大変だから。

すげえことをやらかした自分を超えることが一番難しい。

手前味噌なことを言うと、わたしが今、コンサートを企画しないのは、サントリーホールのマロオケが超ド級だったから、あれを超える内容となると自分としてちょっと難しいから。

ベートーヴェンでやろうとかなり曲目の組み合わせを考えたけれど、ベートーヴェンは第九があるせいで、どうしてもうまくまとまらない。あのジュピターを越えられない。

命がけでやるんだから、前作は超えたいじゃん。超えなきゃ、つまんないから。でも超えられない。黒澤明だって、結局ずっと『七人の侍』って言われるだから。

やった結果、超えられないっていうのはいいんだよね。でも、越えようというエネルギーと具体性がないと創作っていうのはできないもので。

だから、

「またコンサートやってください!」

なんて軽く言われても困るんだよねぇ。

なので、もうしばらく栃木に隠れながら、コツコツやっとくよ。

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