結月でございます。
なんか銀座の呉服屋の広告が炎上しているみたいです。
「ハーフの子を産みたい方に」というコピーで、これはつまり着物は外国人ウケがいいから、着物を着ると外国人と出会えるチャンスがあって、あわよくば結婚できてハーフの子供が持てるかもよってことでしょう。
あまりにもゲスすぎて、コピーを考える方も考える方だけど、採用する方もよくこんなコピーを採用したなと思う。でも、採用したってことは、その呉服屋も同じ考えというわけでしょう。
実はこれ、3年前のものらしく、それが今話題になるのは時代が追いついてきたということかもしれない。
しかしながら、こういうメンタリティーは日本人にはあるんじゃないかとも思う。
その典型が、東京オリンピック開催決定の「お・も・て・な・し」で、あれからなぜかおもてなしが流行語になってしまった。
ともあれ、日本人は外国人へ喜んでもらうというちょっと気持ちの悪いメンタルがあるのは事実。
いつだったか、何かのテレビで日本の伝統工芸品を作る職人が出ていて、その工芸品は今更そんなもん、日本人ですら買わんよ、というものだったが、
「外国から来た方にも喜んでもらえるような品々を云々」
なんて、その女職人は言っていた。
わたしは、
「こいつ、バカじゃね?」
と思ったけれど、そういう話はよくある。
なんでわざわざ外国人に喜んでもらわなきゃならないのかさっぱりわからない。なんで日本人じゃなく、外国人に評価されたいって思うのかな?
でもさ、わたしは着付けをもう10年以上教えているけど、ガッカリすることが多々あった。
それは海外に赴任したりして、そこで着物を着たいから着付けを知っておきたいということで習いに来てくれるのだけど、ほとんどの人が、
「外国の人は着物好きなんで」
とか、
「外国の方に喜んでもらえるから」
とか言っちゃうわけよ。
着付けを習得してくれるのは嬉しいけど、いやいや、そういうのってさ、ほとんどキャバクラの衣装とか、風俗嬢のエロ下着とかさ、そういうものとやってること同じだから。
わたしは着物は自分のために着てほしい。海外でわざわざ着るなら、着物という文化を自分のものとして、そしてその文化を持つ日本というアイデンティティを持って海外で着物を着るっていうならいいと思うのよ。でも、喜んでもらえるからとかさ、客相手のバニーガールがハイレグ着るのと同じ発想だよ、それ。もしくは温泉街のコンパニオン。
だから、外国人に喜んでもらいたいというメンタルって日本人、特に日本女性にはあると思うんだよね。そしてハーフの子供が可愛い!なんてあると思うよ。
ただ、外国人と一口で言っても、欧米に限る。
これがベトナム人とのハーフとか、カンボジア人に喜んでもらうとか、そうなってくると拒絶するのが日本だと思う。
つまり、ハーフっていうのは白人との間の子っていう意味で、それが憧れであったり、おシャンティである価値観。ちょっとリッチで、国際的でかっこいいみたいな価値観だよ。
だから、白人向けのモテパーツとして着物が選ばれるっていうメンタリティは日本にあるわけ。とにかく東京オリンピックの準備を見ていればわかるから。
日本人には白人コンプレックスって間違いなくあるよ。と同時に近隣アジア諸国への差別感もあるよね。
だから、このキャッチコピーの意味する正確なところは、
「白人とのハーフの子を産みたい方に」
ってことだよ。
わたしは昔、「悩殺!着物美人読本」というキモノ本を出版しようとしていた時があった。
それはあらゆる男を悩殺できる着物美人になるためのもので、かなり笑える内容だった。
着物という美でもって悩殺し、そのことによってポジティヴに、楽しく生きるという自己啓発本だったわけだけど、これは決して男や外国人に媚びるという奴隷根性ではないものだった。
着物美を悠々と使いこなす悪女でもあり、そして同時にその力で社会の理不尽とやり合える女性像を描いていた。流れに流されるのではなく、きっちりと個を持ち、はっきりとしたアイデンティティを持ち、そして美意識を持って常に美しく、決してゲスでなく、品格とエロスでもって魅惑的に生きていける女性像だった。
結局それは内容がやや過激すぎたのと、ターゲットが着物を着る人に限られるという話になって出版には至らなかった。
あれから10年ほど経つけれど、日本女性が個としてたくましくなったかと言えば、まったくそうではなく、大して変わってないなという印象。それどころか10年前より経済状態が悪化しているせいもあり、昔よりひどくなったかもしれない。
Metoo運動もありはしたけど、それもどうも方向性が違う気がして、告発したはいいけどその後に哲学を築き上げられていないように思う。
着物に関して言えば、この10年間でまともな着物はより一層、絶滅危惧種となって、今や観光地でレンタルして着るものばかりになった。しかもそのレンタル着物は着物と呼ぶに値しない品質。
しかしどうなんだろう。「ハーブの子を産みたい」っていう価値観はすでに昭和的な気もする。多分若くて40代。多くは50代とかじゃないかな。今の二十代がそんなステイタスを望んでいるとは思えない。
令和になって、さすがに昭和的じゃ古いだろうよ!という違和感みたいなものが、3年遅れの炎上につながったように思う。
そうなると、やっぱり呉服屋の感覚って古いんだよね。
まあ、炎上するだけ、感性がまともになったって言えるんだけどさ。