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ゲーム依存になるのはゲーム以上のおもしろさを知らないから

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結月でございます。

今日は雨。それも結構な雨。東京も雨だったみたいだから、通勤ラッシュは大変だっただろうと思う。

同じく栃木も雨で、通勤ラッシュは避けられても雨が降ると2歳児を保育園まで連れていくのが大変になる。

マンションから愛車がある結美堂の一戸建てまでは徒歩で7分ほど。だから毎日、子供を連れてクルマのところまで行く。

マンションの駐車場にはもう一台、アウディがあるけれど、機械式駐車場でクルマは地下に入っている。構造上、駐車している間は後部座席を開けられないので、2歳児を乗せられない。

今日は雨だからベビーカーに乗せようとするも、愛娘は買ってもらった長靴と傘を使えるのがうれしくてベビーカーには乗ってくれない。傘を差すと、手も握れないから道を歩くのが怖いし、道の端を歩くにも溝があるから嫌だなと思ってた。

それでも言って聞かないから仕方なしに歩いたら、予測通り、愛娘のシャンシャンは溝に落っこちた。

そりゃ、フラフラ歩いていたら落っこちる。足元を見てないんだもの。咄嗟にわたしが手を伸ばしたから怪我はしてないけれど、服が汚れてしまった。

仕方なしにまたマンションまで戻り着替えをし、出直したため保育園には遅刻。

これから梅雨で、雨が降ると保育園に行くのがかなり面倒だなと思いつつ、これはばかりは仕方がない。

しかし、大人なら溝があるから危ないと予測できるのは、それは子供のときに落っこちた経験があるからだろう。つまり、失敗がないと予測する力はつかない。

子供を見ていたらそういうことがシンプルにわかるようになる。

失敗を重ねないと頭は良くならないし、予測する能力も身につかない。

こんなことはみんなわかってるはずなんだよね。なのに不思議と大人になると、失敗を恐れるようになる。

それは予測をしすぎるからかもしれない。

でも失敗をしないと新しいステージには行けないんだよね。

大人になって何年も、何十年も変わらないひとって多いけど、それは新しいステージに進化していなくて、ずっと同じことばかりやってるから。新しいステージに行こうと思えば、失敗は恐れないよ。次のステップに行けるなら失敗してもいいやって思うから。そして初めてのことはちゃんと失敗して、学習して頭も良くなって、実力もついて上に行ける。

さて、スマホのゲームが盛んで、ファミコンがあった時代からゲーム依存というのは問題になっていた。

家に引きこもって一日中ゲームをやっていたりね。

自分の子供がそんなのになったらマジで怖えーよって思う。なぜなら、ああいうのは何を言っても変わらないし、対処のしようがないから。

だからこういう対策はもう2歳のときから考えておかなくちゃいけない。

「なぜゲーム依存になるのか?」

その理由を親が考え、理解しておかないといけないよ。

依存する理由は簡単で、それは「ゲームがおもしろすぎる」から。

わたしは今のゲームはやったことないけど、広告なんかで見るとその3D画像など見事なもので、その臨場感たるややればおもしろいってことはすぐにわかる。

ゲーム産業に集まっている才能ってすごいんだなと感じさせる。あれだけのシナリオをかけて、それを映像にするデザイナーがいて、プログラマーがいて、収益をあげるための戦略を考えられる人がいるわけだから。

未成年のうちに、特に小学生や中学生のうちにゲームよりもおもしろいものを見つけろと言ってもこれた無理筋だしね。実社会でゲームほどエキサイティングなものなんてないよね。

そうなると依存症にならない育児って自ずと答えが出てくる。それは、

「ゲームより熱中できるものをゲームに出会う前の幼少期に身につける」

ってこと。

中学生でプロの棋士になるような人もいて、彼らってスマホでゲームなんかやるより将棋をやるほうがおもしろくてたまらなくて、ゲームやるなら将棋やってるってことだと思う。

同じことがいろんな分野で言える。

ピアノだっていいし、バイオリンだっていい。サッカーでもいいし、絵を描くことだっていい。

ゲーム以外のリアルなおもしろさ、リアルにハマれるものを幼少期に身につけると、小学生になってもゲームなんかにはハマらない。だってアホらしいもん。

ゲームはやればおもしろいに違いないけど、そこに時間をかけるのは無駄なんでって思うようになれば依存症にはならない。

だから、ゲーム依存症の子供を持つ親は、多分、幼少期にゲームより没頭できるリアルなおもしろさを提供できていないんじゃないかって思う。

好きこそ物の上手なれで、好きでハマれることが才能であるのだけれど、ゲームに依存しても将来はあまりないわけで。

ゲームやるならゲームを開発できるくらいにガチでハマんなきゃね。ところが依存症って、そこまで行かなくて、単に楽しいから時間を費やしてるってところで止まってる。

ゲーム開発のエンジニアになるんだったらいいけど、ゲームっていくら時間を使っても何も残らない。ゲーム上で成果はあったとしてもリアルの中では何の意味もない。

つまり、生産性っていうものがないんだな。

ドラクエをクリアしました!って言われても、ふ〜んというだけで。

何かを生み出せると人間は喜びを感じるもので、それを体感しちゃうとゲームはおもしろいとわかっていてもやろうと思わない。

でもさ、ゲーム依存にはならなくても何かを生み出すことに喜びを感じて生きていけてる人ってすごく少ないよね! ゲーム依存を憂えている人だって、じゃあ、あんた、何かすげーことやってんの?って訊かれたら、ただのサラリーマンだったりして、楽しみは週末のバーベキューだったりしてさ。

インスタに必死に自撮りの写真を投稿してたりするのも生産性があるかっていうとないよね。

政治に文句ばかり言ってる人種っているけど、じゃあ、政治に不満があるなら、お前が政治家やれよ!ってね。でも選挙に出ようとする人なんて皆無に等しい。

政治に実影響があるような立場の人が政治に文句言うなら理に適ってるけど、一般ピープルが文句言っても床屋談義にすぎず、いまは床屋じゃなくてSNSになっているだけで、いくらカッコいい批判をしたって、選挙の一票しか力ないじゃん、お前。

と、そう考えると、ゲームはしていなくても、どーでもいいことに時間を費やしている人は大半なわけですよ。

つまり、それって暇なだけで。何かを生み出したいって思って努力している人は、そこに関係ないどーでもいいことなんかに時間は使わない。

具体的に目標がある人は自分探しなんかしない。

ゲーム依存との違いは、引きこもって外に出ないかどうかで、実は自分は関係ない立場なのにどーでもいいことに時間を費やす人はせいぜい会社に行って給料をもらってるからマシっていう程度かなと思う。

だから大きな差は、生産的なことにハマれる能力があるかどうか。ゲームみたいに全てをお膳立てしてくれるものをクリアするのは誰だってできる。

生産的なことにハマれる能力は小さい子供は誰しも持っていて、それをいかに殺さず、育てるか。

ところが大人は自分の都合や社会の常識なんかで、その才能を殺しちゃうんだよね。

その結果、ゲーム以上のおもしろさを見つけられない人間になってゲーム依存になるんじゃないか。

でもさ、ゲームに限らず、それよりもおもしろいものを見つけてしまったら、今までハマっていたものって興味なくなるよね。それが人間の成長なんだと思う。

しかし、同じことをずっとやっている職人みたいな人もいる。きっとそれはそのジャンルの中で今までになかったようなおもしろさが湧き出てきて常に新鮮であるからかもしれない。

例えば棋士だって、将棋そのものは変わりがないものであっても、自分が知らない手を打ってくるすごい若手が出てきたりするから、過去の定跡に興味がなくなって、新しい戦法に関心が移っていく。そうやって脱皮し続けている。

だから人間は一皮剥けていかなくちゃね。

そんなことを考えながら、2歳の愛娘と過ごしている。

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