結月です。
新紙幣になるんだって。これはいいことだと思う。だって、お金ってデザインに飽きてくると、稼ごうって気にならないから。
デザインが変わるとその金を得ようっていう気持ちも高まって、経済的にも影響はあるんじゃないかな。
でも、2024年かららしいので、まだ先だよね。
そんな新紙幣に印刷される人物、3人ともわたしは知らない。
「誰、それ?」
って感じで、今の紙幣に印刷されている人物よりちょっとマイナーな感じ?
樋口一葉と同じく、時代的に女に気を使わなきゃいけないから、5000円札は引き続き女。
どうせ女にするんだったら、日本の主神「天照大神」がいいと思うんだけどどう? 天照大神は女神だからね。写真が残ってないから駄目なのかな? でも、写真が残る時代の人物より安全でいいと思うんだけど。だって、歴史に名を残したひとだって、完璧なひとはいないから、見えないところでやっていることはクズだったりするし、家庭から見ればやっぱりクズの可能性が高い。
功績を残すことと実際の人物は違うからね。だから、神話から取るのがいいと思う。
さて、結美堂・日光着物女子旅を終了し、みんなも平常通り会社に通ったりして、もう過去のことになっちゃった。わたしも保育園に送迎したり、主催者の責任からも解放され、思い出という名の過去として感じている。
思うのは、人間ってそういう非日常的なイベントがないと、楽しく生きていけないってこと。
この着物女子旅だって、昨年の夏には考えていて、秋には告知していた。だから半年ほどは旅の前のドキドキがじわじわとあって、
「もういくつ寝ると〜」
と、気持ちが高まる。
それも日常があるからこそ非日常が映えるわけで、そう考えると日常というのは常に不満足であるべきだよね。
日常が満足すると、非日常のトキメキは生まれないから。
なんて言っても、日常が満足するなんてことはあり得ないから大丈夫。
例えばさ、みんな宝くじで1億円当たったら仕事を辞めて、悠々自適に暮らすなんて思っちゃうわけよ。でも、そうはいかないから。まあ、たかが1億円なんて、数年ももたないと思うけどね。
つまり、毎日ご馳走を食べて、いい酒飲んでとか、日常の満足で思いつくのってくだらないことばかりだから。
豪華客船で世界一周なんてのも、満足な日常を3ヶ月くらい味わえるってだけで。
働かなくて、毎日最高級のレストランで飯食ったって、満足は得られない。毎日が激務で、日々疲れてストレス溜めて、そういう状況でたまに食べると美味しいようなものだから。
だから人間には不満足が必要だし、日常的に満足なんてことはない。毎日どんなに美人と一緒でも、どんなイケメンと一緒でも人間は飽きてしまい、満足は得られなくなる。
そういうわけで、日々、会社に不満を抱え、家に帰って家人に愚痴を垂れ、思うようにならない生活をみんな続けましょう。その中にときめきあるイベントで楽しむ。それが一番幸せなんです。
それにイチロークラスのひとでないと、毎日努力し続けるなんてできないから。何かのイベントのために頑張るしかないの。
女子旅もイベントだけれど、結婚だってイベントだろうし、学校に入ることもイベント、離婚だってイベントだし、転職だってイベント。
そのイベントのために頑張るわけよ、わたしたちは。
多分、そこには成功も失敗もない。
それが成功だったか、失敗だったかを考えることそのものが失敗だと思う。
特に結婚や離婚など、相手がいるものに関しては成功も失敗もないよ。そういう尺度で測るものじゃないから。それを測ろうとするからメンヘラになったり、嫌われ者になったりするんじゃないの。
だって、自分でない他者が関わるのに失敗だって言われたら、その人は気を悪くするから嫌われる。そんな自己中な考えは受け入れてもらえないもん。
ともかく、誰しも人生には節々にイベントがあるから、それを活用して成長して行くんだろうな。受験がなきゃ、勉強もしないだろうし。
というわけで、日光着物女子旅も終わり、次のイベントがないわたしはちょっと寂しくなり、っていうか、やりがいがないっていうと大げさだけど、
「なんだかなぁ〜」
という気分。
かと言って、いきなり夏のキモノ会を決める気分にはまだならないし、ボーッとしてる。
なんていうのも嘘で、なぜなら結美堂山ガール部で6月に男体山を目指すことになっているから。
それに向けて、たるみまくったこの肉体を山登りモードに持って行くため、トレーニングを開始しなければならない。
そして6月は創設1年にして、やっと全メンバーが揃う。今まで、誰かのスケジュールが合わないとかで、歯抜け状態だったからね。
しかし、山ガール部の最初の活動はちょうど去年の今頃、高尾山に登ったことで、まだあれから1年しか経ってないのか。
今もド素人だけど、あの高尾山の時はガチの初心者で何も知らなかったからなぁ。
わたしはアキバのオタク御用達のブリジストンのウォーキングシューズでトレッキングシューズなんて持たず、しかも服は普段通りだったし。
ひとりは高尾山なのにまるで富士山にでも登るような重装備で、非常食持参でリュックが岩のように重かった。
ひとりは若い頃に使った登山靴を履いてきたら、下山途中でその両方の靴底が剥がれて取れてしまっていて、経年劣化すらわからないナメっぷり。
あのときに比べると、山の知識も増えたし、現実の山がどんなものかも少しはわかった。
そうやってイベントごとに人間は賢くなる。成長する。
そして、いつもお世話になっているホテルの食堂マネージャーもわたしたちと一緒に登ってもいいとも言ってくれて、地元で山登りに長けた人が水先案内人として来てくれるのはド素人集団としては心強い。
それもイベントを諦めずに繰り返すことによって得られる人間関係だし、やっぱね、続けなきゃ駄目だよね。一回やっておしまいじゃ、たった一度で成長できるほど人間はよくできてはいない。
なんて考えているうちに、夏のキモノ会を本格的に決めなきゃいけない時期になってくる。
さて、夏はどこに行こうかな。東京のアスファルトはいくら夏のキモノでも暑すぎるし、また東京じゃ、ときめく場所もないしね。
でも、夏着物は着物の中で最も美しいから、爽やかに、軽く、美しく着たいね。