結月です。
毎晩寝る前に、愛娘には絵本を読ませることにしている。
わたしは横で読み聞かせするのだけれど、それもずっとやっていると疲れるものだから、先日、愛娘を無視して自分の本を読んだ。ロベルト・ボラーニョの『第三帝国』。
すると、2歳児は、
「えほん、よんで」
と、わたしのお腹に乗っかりながらせがむのだけれど、
「シャンシャン、自分で読んでくんない?」
と、ボラーニョを読んでいると諦めたのか、わたしとまったく同じ格好をして、ひとりで絵本を読んでいた。それが大変かわいらしい。
やっぱり親が態度で示すことなんだね。だから、学校に上がったら、わたし自身が勉強する姿を見せれば、彼女も勉強するだろうと思う。
親に勉強しろとか言われてもやる気にはならない。親が勉強しないならね。
そこで無理して家庭教師を雇ってもダメで、素養とは小さな時に作られるものだから。
音楽家の子供が音楽家になるのも、小さい時から親が楽器を練習しているところを見ているからだろう。
そう言えば、この間の日曜日、とちテレからふとチャンネルをEテレに換えると、歌舞伎をやっていた。すると愛娘は歌舞伎をじっと見つめていて、真剣な表情をしている。
歌舞伎の衣装や言い回しがおもしろいのかもしれない。
わたしは歌舞伎にはまったく興味がなく、今の時代にあんなものの何がおもしろいのかさっぱりわからない。
観客席から時折起こる笑い声も、
「俺たち、それ、理解してるよ」
という意識高い系のわざとらしい笑い声に聞こえて気持ちが悪い。
そもそも今の時代で笑える程度のジョークでないのに、歌舞伎を見にくる人たちは通ぶって、ああいう笑いをするんではないか。聞き取れてますよっていう笑いね。外国語教室によくありそうな風景。
わたしとしては吉本新喜劇のほうが、自然に笑えて、作り笑い声なんてしなくていい。
でも、2歳児はじっと歌舞伎を見ている。
アンパンマンのDVDはすぐに飽きて、アンパンマンは放置されていることが多いというのに。
しかし、これは遺伝かなと思う。
歌舞伎は興味がないけど、芸能や芸術に触れてきた遺伝。
今度、京劇のDVDも見せてみよう。
愛娘は大きくなったら、日本と中国を行き来する人間になるから。
文化を知らないとリスペクトされないからね。
でもさ、読書の姿を見せるには、紙の本じゃないといけないね。電子書籍リーダーだと何をやってるかわからない。
紙の本のメリットって今はほとんどないと思うけれど、ひとつのメリットを見つけたよ。