結月でございます。
うちのは三匹の猫がいる。栃木に来てからは育児が始まったものだから、生活空間はマンションのほうで、そして結美堂と猫たちは一戸建てのほうでという感じ。
しかし、結美堂の2階は寝室もあって、こちらで寝ることもできる。
2歳児の目が離せないものだから、猫たちと接する時間が東京のときよりもやや少なくなってしまったのだけれど、その反動のせいか、パソコンに向かって仕事をしているときは三匹の猫が集結し、順にわたしの膝の上でくつろいでいる。
さて、そんな猫たちの中で2番目にうちに来たラッキーという猫が珍しい品種。
最初に子猫で来たときは、なんかちょっと変わった猫だなと思っていた。大きくなるにつれて尻尾がフサフサの長毛になり、体全体もやや毛が長い。
何かの雑種だろうと思っていたのに、たまたま猫のことを調べていたらラッキーは「ターキッシュバン」という日本では珍しい猫だということがわかった。
ブリーダーも少ないらしく、買えば40万円はするというじゃないか。
ラッキーはわたしの知らない中国人のどこかの女が拾ったらしく、その女がメルアドから何から何まで“LUCKY”とつける癖があって、猫の名もラッキーになったという。
しかし、そんな珍しい猫で買えば40万もする子猫が捨てられているとも思えない。
もしかしたら、その女はどこかで盗んで来たんじゃないかと思ったりしつつ、でもうちに来たときは、耳ダニが寄生していて、それが先住猫のマオミィにまで伝染してしまった。
耳ダニがついていたということはやはり外をうろついていたということか。
というわけで、ラッキーがどこでどのようにして生まれ、どういう経緯でうちにくるようになったかはわからない。
しかし考えてみれば、マオミィだってどこかの田舎で生まれたということくらいしか知らないし、茶トラの元気くんも子猫の時に感染症にかかって死にそうになっていたのを拾われ、捨てられていたのか、野良猫だったのかもわからない。
うちの猫たちの親もわからないし、わからないことだらけ。
「我輩は猫である。名前はまだない」
というのが猫のスタートなのかもしれない。
夏目漱石は小説家としては才能も凄みもまるでないひとだと思うけれど、これだけ有名になったのは、
「我輩は猫である」名前はまだない」
この一文のキャッチコピーが当たったからだと思う。
その小説だって全部読んだひとはそういないし、小説としての凄みはあまりないし、その他の作品だってタイトルは有名でも、正直どうってことないと思う。
今東光は、漱石なんて落語ってどこかで書いていたような気がするけれど、わたしもそう思う。
でも、小説家としては大したことなくても必殺の一言半句でその名は残るわけで、そのたったひとつの一言半句ができないんだよね、普通。
ともかく、漱石のあの一文は、猫の本質をよく表していると思うよ。