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北川景子のミニマリストに賛同するわたし

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結月でございます。

いやいやキモノのこととか、本当はお話したいと思ってるんですが、引っ越してからまだ後片付けが済んでないのと、今日は朝から保育園に送迎してそのまま東京まで行っていたんです。

日本医科大の付属病院に結月妻を連れていかなければで、でも3週間ぶりに東京を歩いて、地下鉄に乗ったりすると、

「やっぱ、都会はいいわ〜」

と、正直に思ってしまうスペックは都会人のわたし。

なんだかんだ言って、都会の雑踏が好きで、こればかりはもう変えられない。しかしながら、東京にずっといればそれが普通になってしまい、ときめきがなくなるので栃木にいるほうが禁欲的な気分が高まり、スペック都会人たるエネルギーが発散できるかもしれないと思ったり。

なのに栃木に戻って来ると、それは見事な黄昏の風景で、冬のこの時期の夕暮れ時は淡いオレンジと夜がグラデーションになって、爪切りで切り取ったような形の細い三日月があり、その先には日光連山がある。

兎にも角にも、東京は忙しさを楽しめ、栃木はゆったりと創作を楽しめそうな気がする。

「忙しさ」ってとても素敵なことだと思うのよね。わたしは暇より忙しいほうが断然好きで、いつも何かをやっていたい。

と、キモノの情報発信もできないまま、今日も引越しの片付けはまったく手をつけることなく夜を迎えたわけで、明日は片付けを進めよう。

なんて思っていても、実は引越しの片付けは今が一番危ない。それは随分片付いてきて、仕事スペースも確保でき、とりあえず料理もできるようになり、つまりとりあえず生活ができるくらいになると、残ったダンボールを無視してそのまま片付けずに日を重ねる可能性があるってこと。

ここで気合を入れ直して、

「全部片付けるぞ!」

とやらないと、開封しないダンボールが次の引越しまでの何年間佇むことになる。

それくらい人間の生活は本当はモノが要らないわけだけど。

そしたら、今日本で一番美人の北川景子の記事があった。

news.nifty.com

これにはまったく賛成で、まったく同じ生き方。

わたしも服がすごく少ない人間で、必要最低限なものしかない(着物は除く)。

そして、

「物があふれてるとか、見えるところにあるのがものすごく嫌で、服も仕舞える分しか買ってない」

というコメントには、

「そうそう!アタシもそうなのっ!」

と思う。

見えるところに物があるってわたしもすごく嫌。あふれてるとか論外。だから、自分の書棚を見るもの嫌だし、必要最低限でシンプルな居住空間でキメたい。

買うものは本当に価値があるというものだけにする。

そう言えば、作家の井伏鱒二の書斎は、文机の上に広辞苑が一冊あるだけで、他は何もなかったと開高健がどこかで書いていた。そして開高はそれを見習いたいけどでできなかったらしい。

確かに開高の書斎の写真を見ると、酒やら釣り道具やら散らかった部屋だった。

わたしは仕事部屋は、MacBook Proだけにしたい。

しかしながら、仕事部屋とした2階の小さな和室は書棚があって、本が陳列されている。本心はこれがないと井伏鱒二的になって最高な空間なのだけれどね。

でも、この和室は書棚の他は小さなパソコンデスクだけで、目の前は窓で解放的。集中するには大変いい空間になっている。

以前の東京の自宅と比べていいのは、生活空間と仕事空間を完全に分けられていること。どうしても食卓ではMacBook Proを開く気にはなれず、集中力が高まらなかった。

そういう意味では栃木のこの場所はとてもいいと思っている。

と、何かをするには環境って本当に大事で、どこでもできるってわけではない。もちろんそれができる鈍感な人もいるにはいるけど、多くの在宅ワークがうまくいかない理由は生活の臭いがあるところでは仕事をする気にはならないってところにある。

 しかしこれからはミニマリストとそうでないゴミ屋敷系の二極化になっていくと思う。これだけ豊富な物質社会になった時代でそう生きていくかは二分する。

手前味噌だけど、ミニマリストの側のほうが社会的地位は上になると思うよ。なぜなら、物質に価値を見出すより精神に価値を置く究極形がミニマリストだから。

家という概念もなくなっていき、カーシェアなどシェアリングも普及しているのは物質への執着から放たれてきている証拠。

一方で、メルカリみたいに個人のゴミみたいな不用品を売り買いするフリマも巨大勢力として対極にある。

メルカリをやる人間の底辺ぶりは!って話すと怒られそうだけれど、フリマのメンタリティーでは絶対に上にはいけない。儲かるのは胴元でマージンで稼いでいるメルカリという会社だけで。

とにかく、この二極化がどんどんトレンドになると思う。この両者のどちらに自分がいるかだね。

人間は死せば肉体という自分の根本的な物質を失う。だから、物質は大事だけれど、もっと大事なのはその物質からどんな想念を得るかってこと。いいものを得られる物質こそが価値あるものであり、フリマで安く売り買いする場にはいい想念は宿らない。

不用の物質から解放された気分って、すごく気持ちがいいんだよね。

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