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栃木の幻の郷土料理「しもつかれ」を食べたっ!

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結月でございます。

栃木に引越し作業をしたのが12月26日だったから、こちらに来てちょうど1週間ほどか…

しかし連日、引越しの片付けをしたり、愛娘シャンシャンの遊び相手になったりしていて、新生活の実感がないというか、その土台をまったく作れていないので宙ぶらりんな気分。

ただ、シャンシャンはまもなく2歳だけれど片付けを大変よく手伝ってくれて、ダンボール箱から本やCDを出して順にわたしに受け渡してくれたり、それらを本棚に詰めてくれたりする。

もちろんそれはぐちゃぐちゃなのだけれど、シャンシャンなりのやり方があるようでわたしが整理しようと手に取ると怒られてしまう。

あんなに小さいのによく手伝ってくれて、食事の時は食器をテーブルに持って行くのはいつもシャンシャンだし、なかなか頼もしいものだと思う。

さて、昨年の6月、北海道へ行ったとき、栃木出身のサロンメンバーからクルマをぶっ飛ばしていたその助手席から栃木には「しもつかれ」というものがあると聞いた。

でも、本人もあまり詳しくないというもので、栃木ではすでに栃木人からも忘れられている郷土料理なのではないかと推測しつつ、スーパーにはわたしが見る限り陳列されていないし、絶滅に瀕した幻の料理なのだと思う。

しかし今日、その悲願が達成されて、初めて「しもつかれ」を口にしたのである。

それはあまりにも偶然すぎる現象として、同じ真岡に住む着付けの生徒さんがいて、栃木だって広いのになぜか同じところに住むことになった。

そんな彼女が「しもつかれ」を家で作ってわたしのところへ持って来てくれたのだった。

事前情報では「しもつかれ」は家庭のよってかなりの味の差があるということで、おそらく全ての「しもつかれ」が一例であると言えそう。

そんな一例を地元の地酒「桜川」で頂いてみる。やっと手に入ったと些かドキドキしつつ、口にすると、

「ビミョー…」

なんだか和食の原点のような素朴さで、なんともジャッジがしにくい。大根でさっぱりとした味付けで、いいも悪いもないというか、真空というか、とにかく古い日本を感じさせるというか、言ってみれば「日本昔ばなし」に出てくる農村で、そのかやぶき屋根の下でじい様とばあ様が囲炉裏のそばで食べていそうなものなのである。

ふ〜ん、なるほど。食が西洋化した今、確かにこのテイストは絶滅してもおかしくない。つまり日本中の湖や川がブラックバスばかりになった時代にげんごろう鮒を釣りに行くようなものである。

しかし、確かにこれは家庭によってテイストが異なるのはわかる。つまりその素朴さが土台にあって、何かを付け加えたくなるのである。

おそらく、バイク乗りがホンダの50ccバイク「モンキー」を改造するのが楽しくてたまらなく、もはやモンキーの原型をとどめていないのにモンキーであるという事例に似ているのではないか。

女子チーズ主宰のわたしはとっさにこの「しもつかれ」に女子チーズラクレットを合わせ、サラミを乗せ、ピザにして焼いてみたらおもしろいのではないかと思った。

あとはシメジを加えて、生ハムと合わせパスタにしてもいけるかもしれない。

きっと「しもつかれ」には生ハムが合う。

さて、そんな「しもつかれ」は温めず、冷蔵庫で冷やした状態で頂くのがいいと言われる。

食べてみると確かに冷たいほうがいいと思った。冷製のものとして、オードブル的な食べ方がいい。

となると、もともと「しもつかれ」には鮭の頭が用いられているのだから、大根おろしの要領で醤油をかけ、そこにサーモンの刺身を和えてもいいに違いない。

さらにフレッシュなレタスとともにカルパッチョ風にしてもいける。

おそらく「しもつかれ」は変幻自在な素材であり、それゆえに家庭によってテイストがまるで異なるのではないか。

それは必要条件であっても独立的に存在して喜ばれるものではなく、何かのコラボで必要十分条件を満たせば意外とおもしろいかもしれない。

と、初体験の「しもつかれ」を口に放り込みつつ、そんなことを考え、真岡の地酒を飲んでいた。

考えてみれば着物のコーディネートも同じで、色無地という絵柄を取っ払って無にしてしまった究極的な着物はそれだけだと面白みはないのに帯を合わせると途端に生きてくる。

それだけでなく、帯揚げ、帯締めを加えると強力なアクセントが加わり、最初からゴージャスで独立的に存在できる訪問着とは異なる魅力になる。

思えば、今の日本人の食卓は大げさになったものばかりで、それゆえに高カロリーとなり、押し付けがましいところがある。

ところが「しもつかれ」はファーストインパクトが、

「ビミョー」

なほど押し付けがましいところがない。

栃木に来てまだ日が浅く、まだまだ栃木のことは知らず、栃木人の性格もまだ把握できていないのだけれど、わたしが今のところ受けている印象は、栃木人は押し付けがましさがない。

例えば四年間過ごした熊本は大変押し付けがましい場所だった。そして大阪も押し付けがましかった。

正直、そんな押し付けがましさが鬱陶しくなり、

「勝手に言ってろ」

と思うようになったわたしは東京という無国籍な街が住みやすく、それゆえに長く過ごしてきた。

そして、栃木がなんだか肌に合うのは、さらにとちテレが大好きなのは、まるで地元の価値観を押し付けるところがない居心地の良さのためだと思う。

その性質が「しもつかれ」を食べてみてしっくりと来たのであり、同時にだから栃木は都道府県魅力度ランキングで下から三番目という全国からシカトされた状態なのだろう。

主張がない魅力とは大変わかりにくく、世間は馬鹿なものでも大げさでわかりやすいものを好む。

しかしながら、素朴さとは築き上げられるものでなく、それは生まれ持ったものであり、真似て真似られるものではない。

面白味がないところが魅力であることは、思いのほか、情報過多のウンザリしたこの時代には求められるのではないか。それはわたしがとちテレの素朴さをこよなく愛しているのと同様である。

と、「しもつかれ」を食べてそんなことを考えていた。

 

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