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「しもつかれ」売ってねーし!

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結月でございます。

栃木に移転したと言っても引っ越しの片付けが終わる気配はないためまるで落ち着きがなく、猫たちとも一緒に寝れないし、とは言ってもまもなく2歳になる愛娘シャンシャンとは一緒に寝てる。

ともかくスペック都会人のわたしとしてはまだまだアウェイ感たっぷりで、栃木在住であっても栃木県民とは言えない。

引っ越しをするとその土地に根が張ってない感じがあるもので、それは時間を必要とし、ずっとソワソワとしている。

さて、栃木には郷土料理に「しもつかれ」というものがあるらしく、わたしはそれを食べてみたいと思っていた。

鮭の頭を使うから年末年始くらいになるとスーパーに並ぶと聞いていて、早速近所のスーパー2軒にベビーカーを押しながら行ってみたら、

「売ってねーし!」

やっぱり「しもつかれ」はもう栃木県民でさえほとんど食べない絶滅危惧種なのだろうか?

きっとスーパーはどうせ仕入れても売れないから、そんな赤字になるようなものは仕入れないのかもしれない。もしわたしがスーパーの経営者なら、栃木人でも食べないような絶滅危惧種は絶対に仕入れない。

鯉釣りをするときにやってくる漁業組合のおっさんは年末年始にはスーパーで売るって言ってたけど、きっとそれは昭和の記憶の話で、平成も終わる時代の話じゃないのだろう。

人間は得てして自分が歳を取っていることに気づかないもので、数十年前の価値観を今も普通に語ってしまうことが多々ある。

わたしは脳内デジタル化を推し進めて、できるだけ情報は更新して生きていくようにしているけれど、どうしてもアナログな思い出や記憶は古いまま残ってしまう。

例えばわたしがフランスにいた頃も随分前の話で、パリやリヨンは日本の街に比べて変化が少ないとはいえ、きっとあの頃とは価値観が大きく変わっているに違いない。

古臭いものは削除していく脳内デジタル化のおかげで比較的頭の中はスッキリとしているとは思いつつ、同時にアナログの良さを実はよくわかっている。

ただそんなアナログだけでは今は生きていけないし、アナログの良さにこだわることは辞めた。

しかしながらデジタル的だけだと、

「どうもつまんねーな」

と感じる時があり、それは何というか、色気とか、奥行きとかそんな漠然としたものがデジタルにはないからなのだろう。

結美堂山ガール部のことはこよなく愛しているけれど、山登りは思い切りアナログなものであり、山頂ではスマホの電波も入らないし、デジタル的なところがない。

ただひたすら一歩一歩、ひらすらに息を切らせながら登るだけのことしかやらず、打算もなければ、要領もなく、どんなに熟練でも、どんなに素人でもやることは同じで、違いはせいぜい登る速度くらいで、そこには自分の肉体と山しかない。

性に合わないはずの山登りを栃木の奥日光にある男体山に登ってみたいと明確なワケもなく始めた登山は、もしかして脳内デジタル化を迫られたその裏返しの自分を求めているものかもしれない。

思えば、「しもつかれ」と同様に絶滅しそうな「着物」も仕事としてやり続けているのも衣服として着付けることがあまりにもアナログであるからそこに宿る色っぽさや女性美の奥行きがデジタルでは得られないからだろう。

そして、着物も職人たちが染料まみれになりながら染め上げているアナログで、きっと社会の中にある様々な手段としての「デジタル」は良くても、それらは社会の色彩にはならない。

しかし、わたしはアナログオンリーがいいとも思っていない。やはり時代は進んでいるし、デジタルの良さもたくさんあるわけだから、どちらに偏重にならぬよう両者のいいところを得るバランス感覚が求められる。

きっとこのバランス感覚が乱れ、どちらか一方が強くなると、世間では「ヤバい人」と敬遠されるか、「面倒な人」とこれまた敬遠されるだろう。

さて、そんな2018年が終わろうとするこの時期、絶滅に直面していそうな栃木県の郷土料理「しもつかれ」を思いつつ、要はデジタルであろうとアナログであろうと自分自身が変化し、進化していればいいんじゃね?と思っています。

今年は年の瀬にいきなり栃木に移転することになり、来年はわたしは進化するのか、退化するのか?

「科学技術が進む中でどうして退化がいけないんだ?」

とフランスの詩人、アルチュール・ランボーは『地獄の季節』で言ったけれど、退化に見えて実は抜きん出て進化しているのはよく、やっぱりただの退化はパソコンもろくに使えない年寄りみたいでよろしくはないね。

ま、自分がおもれーって思ったことをやっていると退化はしないと思いますよ。

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