結月でございます。
2018年10月17日の今日ですが、YouTubeが見ることができない障害が出ているようです。
日本だけでなく、世界規模の障害とのこと。
と、自分のチャンネルを編集しようと思ったら、エラーになっていて、
「あれ?BANされるような内容は動画にしてないけど」
と思ったら、どのチャンネルも見ることができなかったので調べたら、世界規模の障害ということでした。
なんて言っても、わたしの動画は着付けであったり、猫と一緒に料理したりするだけだから、とりわけすぐに見なくちゃいけないものでないからあまり関係ない。
しかし、世界規模の障害ってすごいもんだなって思うのは、今や動画が全世界をつなげているからで、YouTubeというひとつのサービスが止まっただけで、情報伝達が遮断されることになるからです。
さて、今はネットで情報発信するのが当たり前の時代で、これからもそうなわけですが、つまり情報発信能力の有無によって、社会でどれだけのことができるかが決まってくると言っていいでしょう。
個人的なやり取りをメールやLine、メッセンジャーなどインターネットを使っていますっていう意味ではもちろんなくて、自分がどんな人間で、どんなことをやりたくて、どんなことをやっているのか、そしてどういうことを考えていて、この世の中をどうしたいのかってことをネットで発信できるかどうかってことです。
とは言え、ネットの世界はすでに情報は豊穣を通り越しているので、10年前なら目立てた内容でも今は検索にすら引っかかりません。
しかしながら、目につくネットの記事を読んでみると、意外とこれが大したことない内容だったり、ポータルサイトに載せるほどの内容なの?っていうものも大変多い。
さらにおもしろそうなことを言っていても、それは誰かの発言のアレンジであったりして、内容的に独自性をギラギラさせている記事はあまり見ることはないです。
それはネットの特性で、要は情報がオープンで、そしてコピーしやすいというもの。
単純なコピペではなく、内容や書方が模倣されやすく、模倣が積み重なっていって、いつしかそれがフォーマットになっているわけですよ。
となると、模倣できないものは「作家性」しかないです。
例えば、三島由紀夫の文体を模倣しようと思ったらできなくはないけれど、かなり読み込まないとできない。そこまではネット時代では時間をかけられないし、そんな模倣をするなら、自分の作家性を最初から出したほうがまだ楽です。
あとは、真似できないようなキャラですね。
キャラに関しては「芸術的」なものかもしれない。
真似したほうがカッコ悪いみたいな。
例えば、ピカソの絵を真似して描いたら、すぐバレてダサいし、本家本元には勝てるわけがないので、やっぱりダサい。
そう考えると、コピペや模倣が蔓延っているネットの世界では、むしろ昔からある「作家性」や「芸術性」を押し出したほうがいいんじゃないかって気がします。
と、ここ数年、ネットのことばかり勉強していて、そっちのほうがお留守だったので、作家性や芸術性のほうに立ち戻ろうかと思っております。
しかしながら、多くの作家性や芸術性は、ネットの特性を把握できていない人たちばかりなのでいけない。つまり、キャラはあってもネットで情報発信できてないから存在してないと同じ、みたいな。
わたしはそういうのはいけないと思ってネットのほうばかり勉強していたので、やっとこれで両軸が揃いましたかね。
ともかく、情報過多な時代にも結局は薄っぺらな内容では目立たないし、後にも残らないので、内容なんだなって気がします。
おもしろさって、内容の充実ですね。