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○○にばかり行くひと

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結月でございます。

ハワイが好きで、毎年休みになったらハワイにばかり行くひとがいる。

沖縄が好きで、暇があれば沖縄にばかり行くひとがいる。

そしてわたしは何かにつけて日光ばかり行っている。

そういう土地を得られたひとは幸せなのだろう。なぜなら、そこに行けば幸せを感じられるから。

同じ場所ばかり行くことを理解できないひともいる。

例えばうちの家人は、

「あなた、どうして日光ばかり行くか? 栃木好きなら、他にもいいとこあるよ」

と、ちょっとヘンテコな日本語で言う。

家人は中国人なのに栃木のいろんな場所に遊びに行っていて、わたしより詳しい。ついでに言うと、北海道にも詳しいし、わたしが行ったことのない沖縄にも行っている。

外国人だから、異国の日本は興味深いから旅行をしたくなる気持ちはネイティヴの日本人以上で、さらにわたしが出不精だから余計に差がつく。

ともなく、一箇所集中よりもいろんなところを見てみたいというタイプも普通にいて、むしろ一極集中型の方が少ないのかもしれない。

わたしは面倒臭がりなせいか、あちらこちらに出回って、その都度、新しい挨拶からするのがこれまた面倒に感じる。

それよりも常連として、ゆったりとする方がいい。

だから、飲食店も行きつけしか基本的に行かない。ここがいいと決めたらそこばかりに行って、オーナーや従業員と仲良くなる。

そんな信頼関係があった方が心地いいし、何かあったら無理もきいてもらえるし、こちらとしても安心があるからお客さんや知人を連れて行くのに心配がない。

要するに浮気性でないのである。

どこかの土地を知ろうと思えば、深く関わらないとわからないもので、一度行っただけでは表層のことしかわからない。

それはなんでもそうで、趣味にしたって軽くかじっただけではその本質を習得することはできない。

と、そんな堅苦しいことは実は考えておらず、わたしにとっては「行きつけ」が心地よくて、楽なのである。

さて、ある土地ばかりに行くひとは、ちゃんとそれには霊的理由があって、前世が影響していたり、憑依であったりする。

多くは憑依によるだろう。

それがいい憑依か、悪い憑依かも大事で、悪い憑依だとただ体を弄ばれているだけなので、本人にとってはメリットはない。

ところでわたしの日光、広くは栃木というのは、憑依ではなく、霊的導きによるものが大きい。

それは初めて奥日光へ行った2015年のときに薄々わかっていて、わたしにはどうしようもないところでちゃんと力学が働いていて、そうなるようになっているから。

わたしは憑依はされない。それはされない霊的トレーニングをしてきたからだけれど、日光に関する憑依が来ることは多々ある。わたしが日光へ好きで行くものだから、それを望んでいる憑依霊が来る。

しかし、そういうのは低級の修験者であったりして、ちょろちょろとわたしの周りをうろつくようにしているけれど、そういうのはお断りしているから憑依はされない。

憑依から身を守るのは、自分をしっかりと持っていること、そして憑依霊よりも霊格を高く持って波長を違わせること。

ただし、それは霊的なトレーニングをこなしていないとできることではなく、中途半端にスピリチュアルに興味を持つような人が一番危なく、容易に憑依される。

憑依には深い憑依と浅い憑依があって、浅い憑依であれば普通の人でもよくかかっている。それは翌朝に取れるレベルもあれば、数ヶ月のものもある。深度の憑依になるとこれは厄介で、助けを施しても数年どころではなくもっと時間がかかる。

あとは前世が影響している場合であるけれど、それはまた別の機会に話しましょう。

 

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