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ブルース・リー「ドラゴン危機一発」で思った労働ってもの

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結月です。

この間、GYAO!でブルース・リーの『ドラゴン危機一発』を観てしまったわたし。 

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 映画としては失敗作で、ブルース・リーの良さがあまり活かせていないし、ラストに戦う相手が社長っていうのは凄みを感じさせない脚本。

しかしながら、やっぱりブルース・リーってスターだと思う。

スタートは存在感であり、その俳優が映っただけで映画になっちゃうもの。

そして、ブルース・リーは存在感がありすぎて、セリフがほとんどなくても、というより喋らせないほうがより一層存在感が出るところがズバ抜けていて、トーキー映画なのにリーだけがサイレントを演じているという感じ。

他の登場人物は喋りまくっっているのに、主人公がほとんど話さないで成立する映画ってあまりないけど、シルベスター・スタローンの『ランボー』くらいかな。 

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 『ランボー』は2作目までが傑作。それ以降はちょっと無理があるかな。

1作目の原作は「一人だけの軍隊」というタイトルで、ランボーがベトナム戦争から母国アメリカに帰還したら、壮絶な差別を受けて警察に拷問をかけられ、たった一人で警察隊を相手に森林の中で戦うというもの。

これはすごいいい映画で、祖国のためと思って死に物狂いで戦った兵士の痛烈な哀しさがあって、これは泣ける。

2作目はベトナム戦争で捕虜になったアメリカ兵を再びベトナムのジャングルに戻って助け出すと内容で、これも祖国の裏切りに遭うランボーの怒りが表現されていて、さらにエンタメとしても完成度が高くいい映画。

これらの映画も主人公のランボーは言葉少なく、その存在感で映画になってる。1作目ではそんな言葉少ないランボーが上官に対して、ベトナムで戦友が仕掛けられた爆弾で目の前で死んでしまったことを泣いて告白するシーンは名場面だと思う。

さて、ブルース・リーの『ドラゴン危機一発』の話に戻ると、映画の舞台は製氷会社。そこで働く男たち、そして麻薬取引で儲ける経営者が描かれる。

この時代の香港はまだまだ古く、監督者が鐘を鳴らして、

「さあ、働け、働け!」

と、仕事を促す。

みんな、汗だらけになって働くわけだけれど、自由なく、奴隷のように働く。

でも思ったのは、今も変わらないな、これ、ってこと。

わかりやすい肉体労働が減っただけで、会社に言われたことをただひたすらやるっていうフォーマットって、今も同じで、本質的には時代はそこまで進んじゃいない。

やっとのことで自分らしい生き方、自分が楽しむ仕事っていうことが言われ出したけれど、就活の時期に無個性なスーツに身を包んだ学生などを見ると、雇われるほうもあまり進化していないっていう現状かもしれない。

ブラック企業は、雇われるほうがそれでも辞めないから存続するわけなのに、辞めないよね、みんな。

辞める自由は時代的には確立されているのに、雇われているほうが意識が古いって気がする。

辞める自由がある中で、会社の悪口を言ったりするのってすごくダサいと思うんだよね。

一応、給料を得ている身分で、辞める自由があるけど辞めないで、所属することを存続させながら文句だけ言っているって、やっぱダサいよ。

そこで結月サロンのメンバーには紹介した本があって、これ。 

明日クビになっても大丈夫!

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わたしはすでに自営業者だから読まなくてもいいんだけど、おもしろそうだったから読んだらおもしろかった。

さて、会社に言われた仕事だけをするのってつまんなくない?という考え方は自分をより自由にすることになる。ところが自由からの逃走があるから、社会はブラック化から抜け出せない。

主体的に生きることが求められて、できる時代なのにやらない。これは日本の根源的な問題かもね。

自分で主体的に仕事をしていくっていうことが、ブラック企業をなくす唯一の方法で、つまり会社が変わるのではなく、労働者が変わらないと会社は変わらない。

だから、自分の会社のブラックぶりを批判する労働者っていうのは、大変矛盾した存在なのです。

この矛盾を解決するには雇われる側が変わんなきゃいけないのに、やっぱり変わらないんだな、これが。

そういう意味で50年近く前のブルース・リーの時代と変わってないのが日本かもしれないよ。

 

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