結月でございます。
GYAO!で映画の「バトル・ロワイアル」がやっていたので久しぶりに観ました。
久しぶりにっていうのは、劇場公開の時に映画館に観に行って以来だから、調べてみると17年くらい前?
もうそんなになったんだ。改めて観ると、あまりのB級映画っぷりに笑ってしまった。
やっぱり深作欣二監督っていうのは、B級なのよね。B級の魅力。テキ屋の焼きそばみたいな感じ。
あの映画がとりあえず映画として成り立っているのは、ビートたけしが出ているから。たけしのキャラが生きていて、かろうじて映画になってる。
しかし、中学生同士が殺し合うという内容に深作欣二監督が国会に呼ばれたりした映画だけど、今観ると本当に滑稽なのよね。
笑っちゃうほど滑稽なB級映画なのに当時はR15指定されたり、大人たちは本気になってた。多分、映画で言われているようにその頃は大人たちが未成年のことが理解できなかったのだろう。
そう言えば?と思って調べてみたら、村上龍の小説「希望の国エクソダス」もまったくの同時期だった。つまり、学級崩壊とか不登校が話題になっていて、子供たちの変化に社会はついていけなかった時代。
だから、当時はあの映画はある程度リアリティがあって、わたしも劇場で観ながら、滑稽だとは思わなかった。
でも今は滑稽。
つまり、当時考えられていた未来にはならなかったってこと。
映画の登場人物たちは高校生で、もう17年経ってるとすれば、彼らは現在、30歳過ぎだよ。
今の30代って大人しいし、今の高校生だってマナーはいいし、思いやりの心はあるし、つまり全然荒れてない。
だから、バトルロワイヤルの頃は、ちょうど社会が変わりつつあるときで、旧世代の価値観に適応できない高校生が出てきたときってこと。
旧世代の価値観への拒絶が社会を混乱させたかというとまったくそうでなくて、今は安定している。
なので、あの映画は今観ると、ただのエンタメ映画でしかなく、リアリティも感じられないのでただのB級映画にしか見えないってわけ。
本当の名作は時代を超えて共感されるから、そういう意味ではあの作品はつまんない映画なんだろうな。
そこで思ったのは、想像するより未来は暗くないんじゃないかってこと。
例えば憲法9条が変わるかもしれないって話。わたしは現政権には国家の根幹である憲法を変える素質はないと思っていて、あんな奴に変えられたくないっていう思いはある。
でも、改憲すると戦争になるとか、そういう単純な話でもないとは思う。
今は戦争にはそう簡単にならないシステムが国際的にできあがっているし、戦争をするメリットよりも失うものの方が大きいことも普通に理解されている。
それにグローバルな経済環境になっているため、経済的に戦争ができない。実は戦争の原因はどの時代も経済的な理由なんだよね。イデオロギーでは戦争は起きないんだよ。戦争をした方が儲かるっていう勢力が大きくなったときに戦争は起きる。それだと国民が納得しないからイデオロギーを持ち出して誤魔化すわけだけど。
ところが今は、世界経済がつながっているので、戦争が起きない環境になっている。シリアなどはグローバル経済にあまり関与していない地域だから、アメリカとロシアそれぞれの軍需産業の的になって、それを正当化するためにイデオロギーや人権が持ち出されてしまう。
ただ、日本は戦争にはならない。
尖閣諸島だって当時は軍事衝突がありそうなことが言われたけど、何も起きちゃいない。問題の直後は両国駆け引きはあったとはいえ、経済的にお互いがつながっている中国とは戦争になることはない。
日本にも中国人はたくさん生活しているし、中国でも日本人は海外赴任などでたくさん仕事して生活している。
それを破壊してまであんな島に関わる馬鹿らしさは実はちゃんと国家レベルではわかっている。
北朝鮮からミサイルだって日本に着弾していない。今から考えれば、あの騒ぎは一体何だったんだと思うことばかり。
ともかく、未来を不安がっても仕方がない。不安になってもその不安は的中しない。
意外にわたしたちは賢くなってる。そんな不安を感じつつも、そうならないように次の一手を考え、そして打ちながら前に進んでいる。
だから、未来はそんなに暗いものでないのだから、予想もつかないことを心配するのは馬鹿らしい。
そんなことはやめてしまおう。
尖閣諸島を議論していた時間、北朝鮮のミサイルに怒っていた時間、それらが今ではとてつもない無駄な時間だったとわかる。
そんな無駄なことに時間を費やさずに、今あるもの、自分の目の前にあることをちゃんとやろう。
自分が楽しめることに時間を費やそう。
不安で描かれたものなんて、時間が経てば、チープなエンタメにしかならないのだから。
今の不安は、未来では滑稽になってるよ。
そういえば、不安を過剰に感じすぎて、早まって離婚しちゃったっていうひと、多いよね。