結月でございます。
先日、ある新聞社から取材を受けたとき、年齢を訊かれた。
わたしは自分の年齢を忘れてしまっていて、これは本当のことだけれど、今、自分が何歳であるか正確に知らない。もちろん、年号から計算すればわかるとはいえ、その引き算をするのも面倒だからやらない。だから、結局自分の年がわからない。
普段から年齢のことを考えて生きていないし、考えたところで何かあるわけでないから、最初から考えていない。
そういうものだから、不意に年齢を訊かれて驚きながらも、
「二十歳です」
と、答えた。
記者は、
「いやいや」
と言うから、二十歳には見えなかったらしい。でも、わたしは毎年、一年ずつ年を取るのではなく、一年ずつ若返っている気がしていて、本当の二十歳の時よりも今のほうが若いと思う。
ともかく、新聞の記事としては年齢を書くのがスタンダードらしく、年齢を教えてもらっていいですか?とまた訊かれたので、
「二十歳って書いとけばいいじゃん」
と言うと、
「いやいや、そういうわけにもいかなくて…」
と、記者さん。
結局は年齢の記述なしになったわけだけれど、考えてみれば世の中って年齢を気にしているように思う。
新聞だけでなく、ネットの記事だって芸能人の名前の後に年齢がカッコで書かれていたりするし、履歴書は同然年齢を書く欄があり、結婚に慌てる女を見ても、年のことばかり気にしている。
わたしは思うのだけれど、年齢ってひとそれぞれで、20歳の東大生もいれば、20歳の中卒もいる。金持ちの家庭に育った15歳もいれば、貧乏家庭の15歳もいる。
30歳で経営者になっている起業家もいれば、30歳で平社員もいる。
つまり、年齢というのは、人間を特定するのにあまりにも大雑把で大枠すぎるもので、内容を説明するにはまったく役立たない。
それなのに世間では、一般的なステレオタイプな年齢層のイメージがある。
確かに最大公約数的にはそれはあるのだけれど、それでひとを特定することはできない。
男の年齢 女の年齢
男は比較的、年齢を答えることに寛容で、一方、女は躊躇する。
「もう今年で60になりました」
なんて言うオヤジがいて、そこには些か自慢めいたものもある。男は年を重ねることが経験を増やすように感じるところがあって、だからまあまあ方向性を持って生きているのだろう。
女のほうは、年を重ねて自分が熟成するという考え方が乏しく、できれば年は取りたくないと思う。
これは日本の女の特徴でもあって、フランス女性なら年相応の自分の魅力をアピールする考え方があるので、日本女性ほど年齢にはネガティヴではない。
世間が年齢を訊くのと同様に、自分の年齢を気にしてしまっているのだから、そこに相関関係があって、そうした風土を作っているのだろう。
年齢って意味ないよね
病気のことであれば、肉体的な年齢で出てきやすい症状があるから、医者に年齢を偽るのは馬鹿らしいけれど、普通に生きるのであれば年齢という数字が社会に関することは思いのほか少ない。
日々、自分が何ができるかを考えて、それを実行することに意識が向いていると、本当に年齢のことは考えなくなる。それはあまりにも無意味すぎて。
社会に自分が合わせるのか、自分が社会を作るかのベクトルの違いだと思う。
ほとんどのひとは社会に自分を合わせてしまうので、年齢を気にしてしまう。そして、その社会的ステレオタイプイメージのまま、年を取って老ける。
年を取っても着られる着物なんてつまらない
着物を販売していてよく訊かれるのが、
「年を取っても、着れますか?」
ということ。
こんな馬鹿らしいことを考えるひとが多くて、いつも驚く。だって、今着るのだから、今着て最も美しいものを選べばいいのに、どうして老けたときのことを考えるのだろう?
だから、世の中にはババ臭い着物がたくさんある。老けたときのための地味な色彩の着物。
老けたときのことを想定して着物を選ぶと、当然、地味なものになる。ここには妥協が含まれるから、ベストなものは選べない。
しかし、本当は年の取り方が問題であって、今着て美しいものをずっと着られるような年の取り方をすればいいだけなんじゃないか?
もし将来、その着物が似合わなくなってしまえば、そのときまた似合う着物を買えばいいだけなんじゃないか? それなのにどうして無駄な取り越し苦労をするのだろう?
年のことを考えるのは暇人
一生懸命な状態のときは、ひとは年齢のことなど考えない。年のことを考えて結婚を焦ったり、お肌を気にしてエステばかり通うのもそれは暇だからでしょう。
若さの秘訣は、やりたいことを一生懸命やることで、そこに没頭していると年は取らないものです。
自分の人生を肯定して、その中身で勝負していれば、年齢なんてどうでもよくなる。
だから、世間が年齢を気にするのは、世間が暇人であり、世間が一生懸命でない証拠なのだろう。
そういうところには同調しないようにするのがよろしく、今この瞬間を生きることにリアリティを感じて、ポジティヴに生きるのがいいのではないでしょうか。