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企画を進める不安と楽しさ

結月でございます。

今日は今、進めている企画のために久しぶりにクラシック音楽情報誌の編集部に電話した。すると、前に担当してくれた人の携帯番号なのに他の人が出て、

「久しぶりッス!」

と、開口一番言っちゃうのを急ブレーキ。

しばらくして前任の人、どうしてるの?と訊くと、亡くなってしまったとのこと。前にインタビュー記事でお世話になった時を思い返すとアラフォーくらいだっただろうか。病気で早逝してしまったらしい。

そんなことってあるものなのか、と思う死に触れる。一緒に仕事をしたのは一度だけとはいえ、今回もまた一緒にできるかと思っていたから胸の中でひんやりとした空白が生まれる。それはきっと「寂しさ」なんだ。

しかし、それでも企画は進む。閃きという名のビッグバンから始まり、実現のための懸案をひとつずつ処理していく。その懸案の数々は進む道すじの先に配置されているのが事前に見えていて、ひとつを片付けたらさてその次という具合で、通行手形を得ながら進むようなもの。

そのひとつの懸案をクリアできなかったら企画そのものが頓挫し、諦めなければならないこともある。一方で別の方法や微調整、再調整でなんとかなるものもある。

そんな大小があって、ちょうど今、これをクリアできなければすべてお釈迦という最重要課題に取り組んでいて、あとは天命を待つということ。

多分大丈夫だとは思うけど…と不安と共存しながら、詰めるところを詰めていく。

企画は動き出すと常に不安が漂い出す。すんなりとうまくいくはずなんてないから。滑落しそうな崖を伴う山登りみたいなもの。

それでいてゾクゾクしていて、大変なのに生き生きとしている。打開策を見出すのに苛立っていたりするのに楽しんでいたりもする。

きっとそれは達成が楽しみだからだろう。そこにある大感動、自分で勝手に思い描いた大感動を現実にしたい思いがあって、思い描いたものを本当にしてしまうことに執念があるからだろう。

あとはまあ、音楽が好きなんだろう。

プロデュースは映画だって、演劇だって、絵画だってどれだってやることは同じだ。

映画ならこんな映画をやりたいって企画が上がって、そこから脚本を書いて、監督を決めて、キャスティングして、ロケハンをして、香盤表を作って、撮影していく。ラッシュ見て、編集して、作品にして、宣伝をして、劇場に配給する。

演劇も脚本を決めて企画ができて、俳優を決めて、劇場を選んで、稽古を積み重ね、告知して公演する。

絵画はどんなコンセプトで展覧会をやるかを考え、それが決まればどんな作品を集めなければならないかをリストアップし、それを所蔵する美術館と交渉し、空輸で運び、美術館に並べて展覧会を開催する。

映画も演劇も絵画も全部好きなもので、どれだってやろうと思えばできた自信はある。

でも、それらをやらずになぜか音楽になってしまったのは音楽が一番自分に合っていたのかもしれないし、いろんな成り行きで音楽になっていたというのが実情だろうか。

ともかく、今は音楽の企画をやっていてエキサイトできる。というか、閃きを実現できる現実的な可能性があったからエキサイトできる。

いくら閃きが良くても、それを実現させるだけの条件が揃わないと、絵に描いた餅でしかなく、エキサイトできない。

そうなってくると、本気と書いてマジと読めるほど熱量が高まることはそう頻繁にあるものじゃない。思えば、5年ぶりのことだ。

現実を先に想定して、想定された現実の中で企画をやるのはうんざりするほどつまらない。これは「業務」というやつだから。

そんなノルマをこなすような仕事はまるでメニューの決まったコース料理のようで、一見整ってはいても、そこに熱意はなく、特別な大一番の力強さは生まれない。

そんなことを思いつつ、企画を進める。不安を漂わせながら、不機嫌になったり、喜んだり、いわゆる面倒な人間になってハードルを超えていく。

そしていつも祈っている。祈りながら準備を進めている。お願いだからうまくいってくれ…と祈りながら仕事をする。

もしこれがうまくいかなかったら、この企画はおしまいなんだ。だからお願い、うまくいってくれ…

そう念じながら、案件に取り掛かっていく。

辛さと楽しさの共存。

ハラハラしながら企画を進めていると、生きてるって感じがする。

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