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東京では得られない笑顔

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結月でございます。

昨日は2020年の仕事始め。東京でレッスン。ってか、アタシが栃木にいて、東京に出かけて仕事してるって違和感というか、おかしい気がするけど栃木在住になってる。

さて、今日は愛娘が3歳になった誕生日で保育園の後にバースディケーキを一緒に買いに行って、それを食べたり。

お正月の三日は井頭公園というクルマで10分ほどの県営公園に愛娘を連れてマス釣りに行く。

とれたてピチピチでありながらスーパーで買うよりニジマスをゲットできる。というよりスーパーではニジマスは売ってない。栃木なのにどうしてニジマスをスーパーでいつも売らないのだろう?と疑問に思うも、それは栃木県民が地元のローカル「とちテレ」を見ないことと同じ。地元は地元の魅力を感じられないものだからね。

よそ者のアタシは近場でニジマスが釣れて、それをすぐに食べられる環境にトキメキを感じている。

新年早々、ニジマスは10匹も釣れたよ。

f:id:yuzuki-miki:20200106204133j:plainそのまま10分で家に戻り、すぐにハラワタを抜いて塩焼き体制にする。

f:id:yuzuki-miki:20200106204223j:plain

鱗は取ったけれど、ニジマスの塩焼きは鱗は取らないほうがパリッと仕上がるね。次は鱗は取らない。

とはいえ、とれとれピチピチの塩焼きは美味しい。ダイレクトにかぶりついて、ガブガブと食べたよ。

しかし、スペック都会人のアタシは都会が好きというか、都会にいることが自然。

「なんで、そんなアタシが栃木にいるワケ!」

と思いつつ、東京に飽きていたのは事実。

もう東京では遊び尽くしたし、コンサートも最高峰のサントリーホールで、最高峰のメンバーで最高峰の演奏をしたし、あれをやっちゃったらもう東京でやることなんてないよ。あんな素晴らしいこと、二度とできないから。

でもさ、栃木で育児をすることになったのはよかったと思うのは、ニジマスを3歳児と釣りに行けること。

魚が釣れたら大喜びで釣竿を持つ3歳児。釣り上げたニジマスを触って大はしゃぎで喜んでる。あんな笑顔って、東京じゃどうやったってできやしない。

もしわたしが東京にいたままで、銀座で仕事したままだったら、そもそも育児なんかしてなかったと思うよ。

自分で釣った魚を食べてる3歳児。それはもう嬉しそうでさ。それでもって、わたしも喜んでる。

そういう意味でもサントリーホールでマロオケ東京初公演をしたのは個人的にもよかった。

あの大感動で自分を昇華させられたこそ、東京を離れられたから。あれがなければ達成感がないのだから、東京に執着してウダウダやってたと思うよ。

そんなことを思いながら、栃木に来てちょうど一年だし、あの東京初公演とはまるで違ったテイストで、自分がまだ未体験なスゲえコンサートをやりたいっていう欲望がある。

サントリーホールでの奇跡を超えることはできないのだから、あれとは違った別のことをやりたいんだよね。エメラルドとサファイヤは比べられないみたいな。

でも、東京でやったあの頃と自分が異なるのは、音楽の興味がないってこと。だって、音楽的にはモーツァルトの大好きな交響曲を6曲全部やってしまったんだもの。しかも最後にあんな弩級のジュピターをやったんだから、もうあれ以上は望めないよ。

だから今は自分の音楽体験よりも、もっと別の感動を多くの人に体感してもらえるその事業そのものに興味がある。具体的な音楽の追求はアタシ自身はもういいんだ。もっと総合的なっていうか、音楽に特化しない爆裂。

でもそれは音楽に手抜きするという意味ではなく、音楽そのものは極上でわたし自身がもっと俯瞰的に統合したプロデュースをしたいってこと。

音楽だけに特化したらサントリーホールでの演奏は絶対に越えられない。だからもっと違う意味で超えたいんだ。

二度とできないものを越えようとするのはアホらしいし、だってそんなことをしたらあのサントリーホールでの大感動を下(げ)にすることだから。

と、そんなことを栃木で考えてる。

とは言ってもまだまだ。具体的にアイデアはまとまらないし、自分の中でエネルギーも核融合しない。企画は核融合してとんでもないエネルギーが込み上がらないとできない。

それがないから、まだまだなんだなぁ。条件も揃っていなし、具体策も見出せてない。無理にやっても成功しないってわかる。もっと嬉しくて絶叫したくなるくらいじゃなきゃ駄目。

マロオケ東京初公演を思い立った時は、ジュピターを聴きながら自宅で大興奮の絶叫をしたよ。この企画はすげー!って。

あれくらいのものが込み上がってこないとやれないよね。

まだまだだよ。まだまだ。

自分がクソってわけでなく、革命が起きるまでには過去が完全に消えなきゃいけないから。

まだわたしは東京の銀座の人間であることが抜けてない。ガソリンエンジンの自動車メーカーが電気自動車を作ろうとしているようなもの。そうじゃなくて、まるで異次元の、新しい、発想そのものが電気っていう斬新さがゼロから始まってなきゃいけない。

ガソリンエンジンっぽいテイストの電気自動車じゃ駄目なんだ。そういう意味で、まだわたしは銀座のテイストが抜けてない。もっと真っ新の白紙になって、自分でもやったことがなくて、誰も見たことがないものをゼロから始めなきゃぶっ飛んだことはできやしない。あのサントリーホールの次になる自分は生まれない。

3歳に今日なったばかりの女の子は魚を釣ることも初体験で、その新しい体験に感動している。

あの喜び。3歳の子がニジマスを手にしてあんなに喜べるくらいの躍動。それが再び自分の中で爆裂すればあのサントリーホールとはまったく違った新たな爆裂をすることができる。

それは狙ってできるものでなく、そういう生き方をしていれば自ずとできあがってくるもの。だから心配はしてない。そんな生き方をしてるから、必ずあの躍動はまた来ると確信しているから。

だから今は栃木っていう土地で、踊り場で煙草吸ってるようにしている。もっと上の階にすごい景色があることを思い描きながらね。

人間、踊り場にいてもさ、下の階ばかり見ていると駄目になるからさ。

でしょ?

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