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人と人がわかりあえぬ理由

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結月でございます。

例えば離婚原因の最たるものに「性格の不一致」というのがある。ということは「性格が一致」していれば離婚しないということだろうか?

というより、そもそも育った場所も環境も異なる赤の他人と一緒に生活する結婚に性格の一致を求めることが幼い考えのように思う。

なぜなら、他人同士がすべての案件で一致するなんてあり得ないから。

食べ物の好みが合うとか、趣味のジャンルが合ってるとか、そういうピンポイントでの一致ならあり得る。しかし、性格そのものが一致するなんてことは決してなく、必ずどこかで衝突する。

だから、他人同士が共に暮らす結婚生活において性格の不一致は当たり前であって、それをどこまで我慢できるかにかかってくる。

人間というのは大きな問題での不一致は思いのほかスルーし合える。日本経済がどうすれば良くなるかとか、安倍政権は退陣すべきかどうかとか、さらには世界の環境問題はどのように取り組めばいいのかなど、考え方が違っていてもせいぜい床屋談義くらいで済まされる。

ところが身近なもの、日常生活で垣間見えるものとなると我慢ならなくなる。

亭主の食べ方が汚いことから始まり、立って小便することで便器が汚れるとか、奥さんのイビキがうるさいとか、不用品を捨てられないとか、そういうことは相手をぶっ殺したいくらいの感情になる。

毎日毎日それを見せられると精神的にはかなりキツい。いくら安倍政権のことが嫌いだとしても安倍政権がなくなるよりも自分の亭主がいなくなってくれるほうが先決。亭主がいなくなってくれるのであれば安倍政権は存続していい。安倍アンチでさえそう思うに違いない。それくらい目の前のウザさは耐え難いものがある。

要するに人というのは、大きいことも小さいことも分かり合えないものなのだ。安倍政権の支持者はアンチの心は理解できないし、安倍アンチは安倍支持者のことは理解しない。

韓国が嫌いな人は韓国政府の対応が理解できないし、韓国人で日本が嫌いな人は日本政府の対応がわからない。

亭主が立って小便することをどうして奥さんが苛立っているのか本人はわかってないし、イビキがうるさい寝顔への嫌悪感は寝ている本人は気づいちゃいない。

人と人は分かり合えないという事実が世間で認知されてきたからこそ、営業マンのトークでも、

「おっしゃる通りでございます」

なんていうフレーズがレクチャーされる。それは下手に自分の考えを言ってしまってクライアントを怒らせては注文が取れないから、そこは張り合わずに相手の意見を認めることが方法として有効となる。

相手がわからない奴だからこそ、ヘイトスピーチなど拡声器で怒鳴る強行に出て、力づくでもわからせてやりたいと思うようになる。

とにかく分かり合えることなんて至難の業であるから、結婚などしてしまうと苦労する。わからず屋と一緒に暮らすのは罰ゲームを通り越して拷問みたいなもので、それはお互いがそう思っている。

では結婚しなければいいかというと、しないほうがリスクは減らせるが逃れられはしない。なぜなら会社に行けば自分をわかってくれない人ばかりだから。

さて、人はどうして分かり合えないか? それはある事象について、人間は主観で見てしまうから。

例えば今朝、テレビで岩手県のどこかで、大変見晴らしのいい田園風景が流れていた。

それを見て、わたしは、

「ウゲ〜 すげぇ田舎〜」

と、ややしかめ面だった。

なぜかというと、わたしが田舎が大嫌いだからで、都会のほうが居心地がいいから。そのため田園風景を見ても、美的な風景を感じる前にあんなところには住みたくねーって瞬時に思ってしまう。田舎って近所との人間関係は面倒だろうし、考え方が単純そうだし、派手なことできないしで好意的には感じてない。

でも、わたしと違って都会のゴミゴミした雑踏が苦手で、田舎でのんびりが大好きって人もいて、そんな人があの映像を見たら、

「いいよね〜」

と、表情が緩んでしまうに違いない。

つまり、同じ事象でも見ている主体の根本が異なるためにまるで違う印象になってしまう。だから、わたしは田舎好きな人とは暮らせないし、田舎好きな人はわたしとは暮らせない。

卑近な例を挙げると、うちにはラッキーというおもしろい猫がいて、やることなすことおもしろい。

そんなラッキーはブロッコリーが大好物で、茹でたブロッコリーをものすごい勢いで食べる。ちなみにうちには三匹の猫がいて、他の二匹はブロッコリーはスルーしている。

ともかくラッキーがブロッコリーが大好きだから、その茎の部分は捨てずに輪切りにし、それをゆがいてラッキーのために皿に盛ってやる。

一生懸命食べるその様子が可愛らしいからスマホで動画を撮った。そしてうちのクソすぎる家人にその動画を見せてやった。すると、クソすぎる家人は、

「これ、あたしが買った皿!」

と、クソすぎることを言った。

おいおい、見るところが違うだろ! ラッキーの可愛さを見ろよ。

しかし、クソすぎる人はそんなことは目に入らない。モノへの執着が強すぎて、その皿は安物なのに自分が買ったことに執着していて、猫でなく皿を見てる。

向こうからすれば、安物の皿だというのに自分が買ったモノを猫に使っていることが気にくわないのかもしれない。

わたしは猫は可愛いし、猫は家族以上の愛着があるし、そんな猫がうちの皿を使ってもなんとも思わない。対する相手は猫のことなど、それほど可愛いとも思ってない。

もうすでに分かり合えてない。

分かり合えないのは生い立ちにも差があるからだけれど、こういう事例は世の中に大小含めてたくさんある。

分かり合えない対策としては、できるだけ一緒にいないこと。これに限る。

分かり合えない相手への苛立ちをどうするかを考えるより、分かり合えない相手とどうすれば一緒にいなくて済むかを考える。

心の平安はそこからしか生まれないものだから。

無理に分かり合おうとしても、それは無理、無理。

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