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一汁一菜へと向かっている。

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結月でございます。

「一汁一菜」は料理人の土井善晴先生が言っていることで、ミニマリスト化しているわたしは食べることも一汁一菜に向かっている。

食べることは好きだけれど、同時に面倒にも思えていて、シンプルで簡単なものがいいと思うようになっている。

豪華な中国料理も好きは好きなのに、ちょっと鬱陶しいなと感じたり、コースで順番に出されるフランス料理もメンド臭くて久しく食べてない。

しかし、一汁一菜はすぐに到達するものでなく、うんざりするほどの無駄や浪費を経てその良さがわかってくるもので、わたしも食に関してはもううんざりするほどやったなと思う。

だから、まだうんざりするほどの食道楽をやっていない人が一汁一菜をやるのもおかしな話で、まずは浪費しなさいとなる。

ミニマリストだって、それになろうとしてなるものじゃない。極上な品物にたくさん触れて、所有して、豊饒に到達してそこから引き算の結果、ミニマリストになっていくのが本当。

さて、栃木に来てから川魚を焼いて食べたり、お蕎麦をチュルっと食べたりとしている。東京にいるころから外食はほとんどしていなかったけれど、栃木に来てからはナチュラル路線は強くなった。

道の駅で売っている野菜は実においしいから、オクラを買って湯がいてみたり、今までそういう素朴な日本食みたいなものは食べなかったのにね。

漬け物は食べる習慣がなかったのに、日光のたまり漬けはかなりの品物で、栃木県産の米でこれを食べたりしている。

シンプルだけど、奥行きがあるのが良くて、かと言ってこだわるわけでもなく、日光のたまり漬けがおいしいんだから、これでいいのと他を探求することもない。

「一汁一菜」の境地に達すると、何というか、楽なんだよね。それでいて惨めな思いをしているかというとそうではなく、精神性は高いところにある。

ただし、これはあくまで到達するものであるから、まだ到達するところまで来ていない人に押し付けるのはよろしくない。

だから、一人でこっそりとその日常で食べるのがよく、人にご馳走するときや人と外食をするときなどは一汁一菜はやるものじゃない。

人といるときは豪勢に楽しもう。

今まで壮大に遊んで来たおかげで、いろんなところで無駄がなくなるようになった。必要最低限のものだけでやれるようになってきた。

欲望なく満たすっていう境地かな。

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