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人って変わんないよね

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結月です。

面倒なことってどうして起きるかというと人間関係があるからだよね。他者が自分と異なる考え方を持っていたり、自分と同じ水準で考えらえれる相手でなかったり、ともかく自分でない人間と関わることで面倒なことが起きる。

これは相手も自分に対して同じことを思ってる。

いずれにしても、相手がこうなってくれればいいのにといくら望み、いくら説明しても人間というのは変わらない。

相手が変わるには、相手という自分が変わってくれなければならないわけで、相手にそれを求めるのであれば、自分も誰かと関わって変われる人間でなければ筋が通らない。

「あの人、いつもこうだわ。ほんと、困る」

なんてこぼしているその本人だって、自分を変えることなんか到底できないのだから、どの口で言ってるの?ってことにほとんど気づかない。

その一方で、今の自分が嫌でたまらないという人がいる。

自分の性格を理解していて、いつも同じ失敗ばかりして自分に嫌気がさしている。

じゃあ、そんな自分を変えちまったらいいじゃないかと思うのだけれど、自分を変えるという行動を試みる人は少ない。つまり、自分への愚痴どまり。

自分を変えるというのは、自分の嫌なところを破壊すること。自分を破壊すること。

自分の嫌なところなんて、自分が納得していなくて、そんなものはゴミと同じだから、壊して捨ててしまえばいい。どうしてそれをやらないのだろう?

失って困るものなら確保しておきたい気持ちはあれど、あって困るものなら捨てればいい。何も躊躇することじゃない。

ところで自分のことが好きというのは大事なことではある。でも、自分に一途のままでは向上しない。欠点が改善されない。

自分の好きなところは他人から見ればクソな性格かもしれない。

「俺は頑固一筋だ」

と自慢げに力んでいる男がいたとして、その男は自分の頑固さを個性として惚れ込んでいる。しかし、その頑固なところで迷惑をしている人が多くいたりする。

だから、自分を変えるには自分を客観的に見れて、分析できなくてはならない。

それをすることにより、自分をアップロードしていき、改善を図る。

ところが自分を客体化することはなかなかできないらしい。だから人に相談したり、自己啓発本を読んだりと他人の考えを聞こうとする。

そのアドバイスはいいものだとしても、自分を変える行動を起こす人はこれまた少ない。

その行動を起こさないから嫌な自分のまま、もしくはその自分の性格によって起こる災難はなくならぬままである。

しかし、行動できたとしても人間は完璧にはならない。それは無理な話。だから完璧を目指す、というより少しでも改善を進めるというのが御の字であり、その精進が生きていて意味あることと言えそう。

その精進をせずに年ばかり取るのは、クソな自分のまま老いることで、迷惑老人にしかならない。

思うに人というのは瞬間的には変わらない。どんな良書を読んでも、どんないいアドバイスをもらってもスマホのアプリをダウンロードしてすぐ使えるようにはならない。

何年も何年もかかって、そのアドバイスの意味がわかってくればいいほうで、ほとんどは忘れ去られて仕舞い。

自分にとって面倒な人間がいるということは、自分の弱点を映す鏡になっていること。なぜなら、その面倒は人は他者にとっては好印象な人であるかもしれない。

ということは、その人が面倒だというのは、自分の弱点がその人を悪く見せているだけかもしれないし、事実悪くてもそれを克服する力を養うための糧かもしれない。

自分を改善していくには面倒で嫌な人間の存在が必要で、嫌な人がたくさんいるということはそれだけ自分に不足が多いだけかもしれない。

自分を改善し、つまり自分を変えていかないといじめられっ子はどこに行ってもいじめられっ子のまま。

いじめられっ子は下手すると自殺することがあるが、殺すべきは自分の弱点であり、それは徹底的に破壊してしまえばいいだけで、自分全部を殺す必要はない。

虫歯は虫歯だけを削ればいいのであり、全部の歯を引っこ抜くことはない。

虫歯の治療が憂鬱なように自分の嫌なところや欠点を破壊するのは怖いのだろうか?

でも、結局人はなかなか変われない。

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