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政治的意見はどちら側もつまらない理由。

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結月です。

主観より客観のほうが正しいってことは言えると思うんだけどさ、人間はどうしても自分という主観側からの発信でしかモノを眺められないから、まあ、ほどんどは主観的な意見が多いわけよ。

韓国が好きとか嫌いとか、どっちにしたってそれは主観なわけで、善悪とかそんなことは実はあまり関係ない。

ところが主観でモノを見ているものだから、自分が善だと思っちゃうよね。

それぞれにそれぞれの主観的な事情があって、それを主観で発信するから、そこには客観的な善悪のジャッジはないよ。となれば、どっちが正しいとかもないんだよね。

全てを客観で見ようとすれば、その複雑な方程式に投入される値の数が多ければ多いほど精度は高まる。ところが悪魔の証明と同じ理屈で、人間のやることに全ての値なんて放り込めないわけよ。

だったらさ、それはどんな数式を用いても正解は出てないってことになる。

とにかく、是々非々にクールにやるほうがいいけれど、是々非々というのは東洋的な言い方で、西洋ではそれが善悪になるかな。

しかし、善悪というと道徳的なニュアンスが強まってきて、キリスト教的にはどっちが善か悪かとか、まあ、情念が入ってきてしまう。

するとたちまちそれも怪しいものになってきて、善悪の議論もまあ、当てにはならんねぇ。

ところで今は文学作品なんて全然売れなくて、ビジネス書とかそういうものしか売れないって言われている。いやいや、それは今じゃなくて、結構前からか。

それは何かしらの正解を求められる風潮にあるからで、正解がない文学作品ってものはそりゃ売れないよ。

正解は求められているけど、じゃあ、そのビジネス書が正解を書いているかというとこれまた怪しくてさ。正解っぽいものを書いてるだけで、本当の正解なんて書いてるわけがない。

だって、本当の正解なんて人間にはわからないんだから。わかったつもりの人間は掃いて捨てるほどいるけど。

わかったつもりの浅はかな人がビジネス書を書いて稼ぐわけだけど、ところが今は文学作品も何かしらの正解というか、何かしらの主張を書いているものが求められてる気はする。

それは編集者が文学作品を読めなくなっているせいか、ただ売れないからかはわからない。

でもさ、主張を書いちゃったら、それ小説じゃないよね。そういうのはオピニオン雑誌に投稿すればいいのであって、こういうことを言いたかった小説ってわかる小説は小説ではない気がするんだけどね。

答えがない小説を書くはずの小説家がさ、ツイッターやなんかである側に偏った政治的な発言をしているのを見ちゃったりすると、うん、こいつは小説書きじゃないななんて思うんだけど、一応小説家になってたりする。

文学ができることって、人間の根源に迫ることなんだから、表層の屁理屈の政治なんかに熱くなっちゃいかんよ。だって政治は主観的な思いによる現象なわけであって、そこにはこれまた善も悪もないから。あんなものは好き嫌いにすぎない。

とはいえ、善悪とか是々非々っていうのもつまんないだよね。

なぜなら、それを言い出すと主観になるから。どうしても主観からは逃れられなくなるわけ。

主観がいけないものとは言わない。主観がないと人間は生きていけないから。

でも善悪を判別したりしようとすると、主観を用いざるを得ない。

もっともっと遠くから眺めると、善悪の判別なんかどーでもよくなって、そこにはただ様々な現象があるのみっていうように見える。

善も悪もない。是々非々もない。

よしよし、般若心経みたいになってきた。

自慢だけど、アタシはそういう境地に達してきた。

えっ!?そうは見えないって?

そりゃそうだ。だって、そういう境地にいたら世俗で生きていけないから。だから主観的な好き嫌いは結構言ってる。そうやったほうが生きやすいんだな、この世は。

でも、バックグラウンドには究極の客観があるからねぇ。わたしがいきなり本気になって怒り気味になるときは、

「個人の経験を普遍化したように話す」

っていうシーンを見たとき。

内心はそんなものをいちいち気にかけるのは馬鹿らしいって思ってる。ところがどうも気分が悪いからスルーできずにいる。

ああ、だからまだまだわたしは駄目なんだ。もっとニコニコして、

「そうねぇ〜」

なんて言っておけば仏様になれるというのに。

いやいや、なれねーし。なれないから仏様は特別なんだ。

だって、個人の経験を普遍化したように話す誤謬ですら、それは世の中の現象の一つなんだから、鳥の目線で眺めていればいいものをね。

でも、人間の社会は世俗なんだからそこで生きている限りは目線は鳥より上にはいかない。

そんなこと言いつつ、自分も人間だから、

「うん、やっぱクソっす!」

ということで、自分のクソぶりを認めつつ、善も悪もない、是々非々もない視点を得ないとね、なんて思ってるわけです。

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