結月でございます。
昨晩、NHKのニュースを見ていたら「教育虐待」というのを扱っていた。初めて知った言葉だけど、そういうのはあるよね、と思った。
中学受験を子供にさせて、子供の勉強が出来が悪いと叱咤するというもので、テレビで扱われていた親は、子供に水をぶっかけたりして、最終的に子供がギブアップ。小学生で心療内科に通う例もあるという。
しかしながら、こういうのって昔からあって、最近のことじゃない。昔のほうがもっとひどかったかもしれない。でも時代が変わってきて、そういうのはひどいという認識になってきて話題になるようになったのだと思う。
あとは子供が摂取する情報量が昔と格段に違うから詰め込むのに限界に達しているとか、子供の情報社会で利口になっているので、親の言うことを聞いてばかりいるわけではなくなってきた。
学校などの教育現場は廊下に立たせるなども今はないだろうし、体罰として先生が子供をぶん殴っても、親のほうが、
「先生、もっとぶん殴ってください!」
みたなことを言うシーンも多分、あまりないと思う。
体育会系も露骨な体罰は問題になるから昔ほどじゃないんじゃないかな。わたしは体育会系は疎いけど、音楽系はちょっと知っていて、基本、音楽の教育現場って人格否定みたいなところがあって、音楽の才能を潰すための教育ってところがあったような気がする。
でも、そういうのも減ってきているせいか、今のクラシック音楽の演奏って技術的にはうまいんだけど、昔の音に比べると緩いっていうか、軽い気がする。昔の録音なんか聴くと、権威がすごくて、それはそれで凄まじい音を出していたんだなと思うから。
今の音楽現場は、みんなで楽しくみたい雰囲気やお互いを理解し合おうよって感じだと思う。
昔は美意識がもっとビンビンで、
「君の汚い音は聞きたくないから、弾くのをやめてくれないか」
みたいなところがあったよね。
さて、教育虐待は中学受験で起こっているとNHKでは言っていたけれど、中学受験が60%も占めるのは東京などだという。しかも中央区や千代田区、港区など中心部。
それはそのはずで、子供の学歴は親の所得に比例するから。これは統計でもはっきりとしているので、基本的に貧乏な親の子供は学力が低いです。
それにもちゃんと裏付けがあって、親の所得が高いということは親が高学歴で、給料の高い会社に勤めている確率が高く、親の高学歴意識が子供の成長過程でもたらされているし、習い事や塾にも十分に金を払える経済力があると子供の学力も高くなりやすいという簡単なものです。
ところが子供からの拒絶が出てきた。
実はわたしも中学受験をしたことがある。しかしそれはお受験のような本格的なものでなく、親の思いつきでいきなり受けたもの。
うちの親は学歴なんか全然ないひとたちだけれど、どこでどう思ったかいきなり中学受験をしろと試験の3ヶ月前くらいに言い出した。
クルマでその学校の校門まで行き、「ここだ」と言われてもピンと来ない。しかし、今まで勉強なんかしたことがないのに5教科の問題集が目の前に積まれることになり、日課だった放課後の友達のと遊びも禁じられてしまった。
そして、家でひとり勉強するのだが、教えてくれるひとはいない。親は学歴が低いから、そもそもその問題集を親もできない。意味不明な独学を強いられながら問題を解くも全然正解には至らず。そうするとだんだん気分が悪くなってきて、自分が頭が悪いという認識が深まってくる。
そして、問題集ができないことに親から罵声を浴びせられるも、それはきっと会社でのストレス発散に用いられていたと今では思う。
とにかく勉強して楽しくはないし、ボロカスに言われるし、友達とも会えないしで、その3ヶ月は最低の日々だった。
受かるわけはないとわかりつつ、受験をし、案の定、解答用紙は白紙に近い。それでいて母親と一緒に面接まであって、どーでもいいようなことを聞かれ実に気分が悪かった。
しっかりと不合格したおかげで解放されたわけだが、この学校に不合格してよかったと高校受験の時にわかることになる。
そこは中高一貫校だったのだけれど、中学は入るのが難しくても、高校の偏差値はかなり低かったから。
公立中学に入って受験勉強をして自分の偏差値はゆうにその高校の偏差値は超えていたし、もし中学受験であんな学校に入っていたらそのままエレベーターで高校へ行っていたはずで、そしたら大学なんかにも行けていなかったに違いない。
つまり、うちの親はアホだから、そういう長期ビジョンもなく思いつきで中学受験させていたわけで、子供というのは早い段階で親を見極める必要がある。
さて、都内の中学受験も慶応や早稲田のように大学もある程度の偏差値を保っているところがあって、おそらく多くはそういったところへの受験なのかもしれない。
と同時に、女学校系はお受験があっても頭は悪い学校が結構あって、お嬢様系はそういうところがほとんど。
まあ、頭の良し悪しよりも公立がゲスだから、育ちがいい家庭が集まるところに子供を置いておきたいという気持ちがあるのかもしれない。
ところでわたしは中学なんかは公立でいいと思っている。なぜなら、慶応や早稲田だって中学から入ってそのままエレベーターで大学まで行っているひとたちの学力が超低いから。
これは一貫校でよく言われることで、エレベーターだと受験勉強をしないから、大学からガチで受験して入っている学生とは学力の差が出る。つまり、育ちはいいかもしれないが、実力はどうなの?という疑問符がつく。
おそらく企業の面接官もこういうところは見ているに違いなく、中学から一貫校だとお高く止まるイメージがあって、むしろ世間からは鼻をつままれ逆効果なんじゃないかというわたしの見方。
高校に入るために受験勉強し、そしてさらに大学のために受験勉強をしてきた人間と小学生の頃に小学生向けの内容で受験してエレベーターというのでは修羅場が違いすぎる。
そう考えたら、本当の実力を身につけるためには中学は公立でよろしい。そして公立中学というピンからキリまでの学力、家庭環境が混ざり合う混沌を見て、社会を知っておくのがいい。
それに一貫校は私立だから、ブランド意識が強すぎていけない。おそらく都内で中学受験させるのも親のブランド意識のせいだと思う。
というわけで、中学受験には否定的なわたしだけど、親が意識高い系だといつの間にか教育虐待になっているという気持ちはわかる。
勉強がわからない我が子に水をぶっかけるとかいうヒステリーになりがち。
思うに子供が勉強するかどうかは、勉強が楽しいと思えるかどうかが大きく、好きこそ物の上手なれで勉強がおもしろければ何も言わなくても勉強するし、そのおもしろさがわからなくても将来にやりたいことがあってそのためには学校に入ることが必要となればやっぱり勉強する。
虐待をするよりそういう状態に子供を持っていくほうがヒステリーにならずに済むし、子供の学力も高くなる。
親がやるべきことは直に勉強を教えることじゃなく、環境づくりなんじゃないかな。
わたしの見聞を振り返っても、勉強ができる子供の家庭って円満なところが多いんだよね。ガミガミうるさくなくてね。親も穏やかだったりしてね。
親が子供から嫌われたらもうおしまいだよ。親の言うことは絶対に聞かないから。勉強しろって言ってもするわけない。
教育虐待する親はどこか自分にコンプレックスがあるんだろうね。それと同じものが我が子に見えると耐えきれなくなりヒステリーを起こす。
まっ、中学受験なんて趣味の悪い話だと思うよ。