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おもしろいひとってどんなひと?

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結月です。

おもしろいひとだなって思うのは、魅力的なひとだなっていうことでもあると思うんだよね。

そのひとの側にいたらおもしろくて、退屈しないとかね。

で、それはどんなひとかなって考えたら、多分、自分の言葉をしっかりと持っていて、それは自分の世界を持っているってことなのだと思う。

自分の言葉を持っているとは、自分のオリジナルの言葉で、つまり自分の思考で語っている言葉。

そんなの誰だってそうじゃん!と思われるかもしれないけどさ、いやいや、自分の思考で言葉を使えているひとはとても少ないよ。

ひとが話しているのを聞いたり、知り合いと話していたりしていても、その言葉がテレビのバラエティ番組っぽいっていうか、テレビ的やり取りだなって思うことがしばしばあるわけ。

つまり、みんなテレビを見ていて、そこでのボケツッコミなんかと踏襲してる。

保育園に行くとそれが如実にわかる。

年長組とか、その兄弟の小学生なんかの言葉を聞くと、もろにテレビのコピーなんだよね。

それは大人でも一緒ってわけで。

そんなテレビ的やり取りをしておくと安心というか、楽なんだろうな。だって自分のオリジナルで話すって、リスクがあるからね。もしかすると嫌われるっていうリスク。

だからテレビ的な雛型で喋っておくと無難だし、同じようなひとたちとコミュニティも作りやすい。

でもさ、そういうのはテレビで見ればいいから、そんなひとたちと話していても全然おもしろくないわけ、少なくともわたしはね、そう感じてる。

日本独特かもしれないけど、自分の思考をしっかりと持っているひと、少ない。

多分、日本人ってお役所的なんだと思う、だから役所でないのに一般企業がお役所的な社内だったりする。

責任の分散とか、その典型例でさ。

自分がどうしたいかその意見をはっきり言わないのもお役所的だし、空気に任せて成り行きを待つみたいな。

根本的に自分がどうしたいのかっていうのがはっきりしてないから、みんながやっている方向に流れるとか、リクルートスーツみたいなものかな。

で、おもしろいひとって自分ならではの思考で生きていて、だからオリジナルの言葉で常に話していて、それゆえにそのひとからでないと聞けない話ばかりだからおもしろい。

そういうおもしろいひとの話って善悪もなければ、正解不正解もない。社会的ルールからすると間違いかもしれなくても、話としておもしろいわけだから。

逸脱だよね。社会から逸脱しているからおもしろい。

おもしろくないひとは逸脱してないからおもしろくない。逸脱してないってことは、ありふれているってことだから。

それって保身とも言えるんだろうな。

保身すると、人間って途端につまんなくなるよね。

なんて言いながら、わたしはおもしろいひとばかりの世の中になってほしいとは思っちゃいない。

そもそもそれが無理ってこともあるけど、需要と供給を考えたら、おもしろいひとは少なくて、おもしろくないひとが多くていい。

それって麗しき民主主義?

立候補するような変なひとがいて、立候補しない大多数のひとが投票に行くってのと同じなのかもね。

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