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#10連休いらない、やっぱそうだよね。

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結月でございます。

この間、やっとクソすぎる10連休が終わったと思ったら、明日からまだ土日。そうか、10連休は月曜までだったから、1日割り込んでいるんだ。

すると、こんな記事が。

headlines.yahoo.co.jp

#10連休いらないというハッシュタグまで立てられていて、Twitterで見てみると「なるほど、だよね」と思うことがたくさん書き込まれていた。

10連休となると、普段仕事でいない亭主が家にいることになり、このストレスは凄まじいのはよくわかる。

とにかく、日本の男は休日は家で何もしないし、飯も自分で作れない。

しかし、飯を自分で作れないってマジ?ってわたしは俄かに信じられないのだけど、それがスタンダードらしい。

泊りがけでどこかに行く時、困るのは残された亭主で、それはご飯が作れないから。そのため2日分のご飯を作っておいてあげないといけないなんて話を聞いて、びっくりしたことがある。

こんな豊かな時代に飯を作り置きしてあげなければならないって何それ? ペットの猫かよ!?

そんなことを思ったら、自分の親もそうだという事実に気づいた。母親がこちらに来るとき、

「お父さんのご飯のこともあるしなぁ」

なんて言っていて、

「は?意味わかんないんッスけど!」

だって飯なんてコンビニに行けば弁当が買えるし、スーパーに行けば惣菜だってある。料理しなくても食うには困らない。つまり、それってかみさんが作った料理しか食べないっていう甘えまくった偏食!?

小学生並みのガキぶりに信じられない気分なんだけど、一人暮らししたことないのかな?

でもさ、用意するほうも用意するほうだと思う、放っておけばいいじゃん。

さて、わたしはずっと「夫婦は週一くらいに会う程度でいい」と言っていて、これはマストだと思う。このルールに反すると、要らぬ夫婦喧嘩をしなければならない。

10連休いらないハッシュタグにあるような事例は、普段は仕事から帰ってきて夜しかいない亭主が一日中家にいて、さらにそれが10日連続ということから起こる悲劇。

とにかく夫婦が一緒にいることを長く続けるなんていいことはない。

かく言うわたしも10連休の間は、いつもはいない家人がいて、恥を忍んで告白すると、10連休中、7度は、

「こいつ、ぶっ殺してやりたい」

と思った。

どれもくだらない理由であり、どうしてそんな簡単なことがわかんないの?という内容であっても、人間というのはくだらないことにこそ、最も腹を立てる生き物なのである。

なぜなら、深刻なものは腹が立つよりも、しっかりと聞く耳を持ち、そのクライシスをどう乗り越えようかちゃんと冷静になって考えられるから。

しかし、日常生活の些細なムカつきは積もり積もって核爆弾になる。

保育園が十日も連続で休みであり、2歳児にずっと向かい合い続けるのも確かに辛かった。

うちの娘はパズルが大好きで、これをやる集中力は並大抵でない。7枚ほどのパズルがあるけれど、一度やり出したらこれを全部やらないと気が済まないらしい。

だから、ひとつのパズルを終えて、わたしは「やれやれ。寝るかな」なんて思っていると、

「次、これ〜」

と言って、さらにパズルをバラバラにする2歳児。

「ゲッ!?またやるの…!」

さすがに子供用パズルにずっと付き合うと疲れてくる。それも夜中の2時だったりする。しかし、好きなものは没頭させることが将来のためであるし、パズルは頭のトレーニングにもなるし、それを無理にやめさせるのはもったいない。

そんなわけで2歳児との時間が長すぎると、自分のこともできないストレスはあるとはいえ、それでも家人の大人気ない行動とは比較にならない。なぜなら、前者は2歳の子供であり、後者は大人であるから。

とにかく夫婦なんて一緒にいていいことはないので、わたしは愛娘を連れてよく出かけた。

しかしながら、夫婦なんて互いに同じような不満を抱えているもので、どっちもどっちと言えばそうなのだろう。大事なポイントは、客観的な意味でどちらが正しいかという点。

つまり、身内となると理不尽で、非論理的で、身勝手がまかり通ってしまうから。

要は客観的に考えることができない相手、もしくは状況で相手と対峙するのは悲惨しか生み出さない。なぜなら、わかりあえるポイントがないのだから。

いくら客観的に正当なことを言っても、相手が客観的に理解しようとしなければこれは不毛になる。

しかし、それは全て日常から起こるものであり、日常とはくだらない自分ルールの塊みたいなもの。

記事にもあるように子供を連れて遊園地に行ったら、亭主がスマホゲームばかりしているなどはその典型で、客観的に見れば奥さんが正しいけれど、スマホのゲームを仕事がない休日に思う存分楽しみたいという身勝手な欲望は自分ルールであり、これをやめさせるのはほぼ不可能に近い。

それくらい人間は自己愛が強く、自分を優先する。

亭主の立場から見れば、

「俺が毎日、クソな上司に我慢して職場にいることがわかんねーのか!」

ということなのだろう。

その気持ちは他人にはわからないし、だからこそ自分だけは理解し、せめてゲームくらいやりたいと思う。

しかし、そこは相手がある場合、ルール違反となる。

夫婦とは相手がある生活であり、子供がいればさらに相手が増えることになる。相手がいるなら、身勝手は通じなくなり、抑制したり、聞き分けなければ喧嘩になってしまう。

一人暮らしであるなら日々の仕事のストレス発散でゲームに没頭して良くても、家族がいれば、すなわち相手がいることだから互いが納得するルールの中でやったほうがいい。

身内でなければきっとそんなルール違反はやらない。友達と遊んだり、会社仲間と何かするときにはそんな身勝手はやらないだろう。ちゃんと相手を意識して行動するはず。

ところが身内だとどうしてもそこが甘くなる。

わたしが連休中、とても腹を立てたのは、朝食は冷蔵庫に残り物があるから、どうせ朝はそんなに食べないし、片付けたほうがいいから、それでいいよね?と了解を取り、わたしはそれらを温めて、2歳の娘と食卓についたら、ガッデムなあの女は一人勝手に食パンを焼きだし、ジャムを塗って食っている。

これにはカチンと来たよ。2歳の子もちゃんと一緒に朝食を食べているのになんで一人でパンを食うかな?

そしたら、

「食べたいものを食べて何が悪い!」

みたいにキレ出す女。

わたしは、

「だったら、中国の実家に行ったとき、あんたのお母さんが朝食を作って、わたし一人がピザ食ってもいいわけ?」

というと、

「いいよ!」

と、ヤケクソぶり。

ヤケクソになったり、キレたりするのは自分の過ちを見事に言われた防御反応だけれど、そもそもそういうところがやっぱ大人としてどうなの?と思う。

「いやいや、そもそも中国の食卓でピザなんて食べないし。わたしはそんな非礼はしない。出されたものは基本的に食べるし、食卓で一人勝手にするなんて品のないことはしないよ」

夫婦とはこんなくだらないことで怒らなければならないほどクソなものなのである。

身内と言えば、自分の親でこんなことがあった。

一年以上、愛娘を親に合わせていないからしぶしぶ3月に京都へ行った。しぶしぶというのは、どうせいいことないからわざわざ行きたくなかったし、行きたくないものに高速代やガソリン代をかけたくなかったから。

しかし、無理に行くには行ってガッカリした。

わたしのクソ親はわたしたち客人が来ても自分たち生活のままでしか対応しない。子供がいるのに自分たちが普段見ているテレビを見続け、Eテレの子供番組にチャンネルを変えるなどしてくれればいいのに、まるでその配慮がない。

2歳の子がいても、大して可愛がらない。一日中、テレビを見ている。2歳児もその空気を察して、全然楽しくなさそうである。

こんな無視状態では一体、なんのために来たのかわからない。普段の生活とは異なるわたしたちがいるというのに、それを相手として捉えられていない。

こんなのは日本でも珍しいのではないか。

ほんの些細なことができていないだけで人間は相手を嫌いになる。逆に些細なことをしてくれただけで相手を好きになる。

しかし、身内は得てしてその簡単なことができない。

きっとわたしだって気づいていないだけで、簡単なことはできていないだろう。

だからこそ、夫婦なんて一緒にいないほうが安全だし、たまに会う程度で信頼関係さえあればいい。無理に一緒にいて信頼関係を崩すくらいならね。

親だって会わないほうがいい。お互い生活は別々だから、それぞれにそれぞれの生活スタイルが出来上がってしまっていて、それは融合できない。

人間はバラバラでいたほうが成長する。

外の世界で生きて、勉強して、ときどき身内と会うでいいじゃないか。

一緒に朝食も食わず一人でパンを食うというくだらないことに腹を立てる馬鹿らしさ。そして馬鹿らしすぎて、余計に体力を消耗する。それはチームの和を乱しているから。

そういうことが10連休には起こるし、亭主の定年退職後に地獄の日々が続くことになる。

だから、

「ときどき会うのが仲良しの秘訣」

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