結月です。
ありがちだけど、またしてもこんな凄みのある事件が起きてしまいました。
84歳の奥さんが88歳の亭主を杖で殴り殺すって、その恨み辛みは60年分くらいはあったってことでしょうか。
とはいえ、こういう殺人は得てして、一時的に頭がカッとなってやってしまうもので、そのバックグランドは壮大だとしても殺人とは瞬間的なものです。
先日もどこかのノーベル平和賞受賞者が女性を殴ったとかいうニュースを見ましたが、これも気の毒な話で、なぜならノーベル平和賞を取れるのはその政治力でもあり、プライベートが平和的であることには直結しないからです。
詳細はわかりませんが、誰だってムカつくことを言われたらカッとなってしまうこともあるわけで、平和賞のイメージと個人的生活をごっちゃにしてはいけない。
しかし、わたしは随分前から言っていますが、夫婦というのはできるだけ一緒にいる時間を少なくしたほうがいいです。できるなら一つ屋根の下で住まないほうがいい。
夫婦でなくても、そもそも人格は個人で個別なのだから、それぞれの人格を持つ人間がずっと一緒にいるとロクなことになりません。
漫才師だって相方とは仕事以外では口を利かないなんて話はよくあって、人と人がずっと一緒にいて仲良しでいられるわけがない。
たまに会うから仲良くできて、たまに会うから積もる話に盛り上がり、たまに会うからセックスしたって気持ちがいい。
それなのに夫婦は一緒に住まなければならないという思い込みがあるのが困ったところで、本当は夫婦であっても別々に暮らしていたって何の問題もない。
結婚相手なんて、一週間で一度くらい会うのはちょうどいい。多くて二回。
そうすればお互いの嫌なところに接する時間も少なくなり、嫌なところを見てしまい腹が立って喧嘩したってそれも週に一度で済むわけです。
毎日一緒にいて、しかもそれが60年を経過した老夫婦なんて恨みの蓄積以外の何ものでもなく、84歳の殺人とは捨て場のない核廃棄物が爆発した原発事故みたいなもので恐怖そのものでしょう。
夫婦なんてまあまあ仲良く暮らせるのはせいぜい2年から3年。そんなものです。
なので早くから別居が普通だと思える心にしておくべきで、夫婦だから共に生活しなければならないという変な風習みたいなものは根拠がないのだと合理的に考えられるようにするといいです。
ところでゴールデンウィークなど大型連休になると、家族旅行に出かける人たちのリポートがなされます。
その風景の多くは成田空港や東京駅で、小さな子供を連れて海外や避暑地に赴きます。
わたしは家族旅行になぜ出かけるのはまったく理解できなくて、なぜそんなつまらないことをしようとするのかさっぱりわからない。
通常、サラリーマンをしていると家族と過ごす時間が少ないと言われるけれど、それでも仕事から帰った夜は毎晩一緒なわけで、土日だってあります。そんな見飽きた人間とどうして旅行へ行くのでしょう?
わたしは正直、絶対に家族旅行なんてしたくない。2歳児の愛娘とふたりだったら楽しいけれど、3人揃いというのは勘弁願いたい。
なぜなら、どうせ腹が立つようなことになるだろうし、相手の顔を見ながら飯を食べてもちっともおもしろくないから。
そんな身内を交えて、なぜ大金をかけて旅行に行く必要があるのか?
新鮮な話はないし、新しい発見もない。盛り上がる話題もなければ、財布は共通。
子供目線からしても家族旅行はおもしろいものではないでしょう。
わたしも子供の頃、家族と夏休みにいろいろなところに行った記憶がかすかにありますが、おもしろかったというものは一度もありません。
要は退屈で、自由がない。
それよりも中学生のとき、友達の4人で琵琶湖に泳ぎに行き、キャンプ場で焚き火を焚いてシチューを作って食べたことが楽しかった記憶として鮮明に残っています。
つまり、家族旅行なんて子供にとっても迷惑なもので、そんなことに金をかけるんだったら友達とどこか行ってくるからその金をよこせというのが本音。
だから、家族というのはそれぞれがある一定の距離感を持っていたほうがいいに決まっていて、むしろそのほうが互いが仲良くいられる。
たまに50代の息子が同居している80代の親を殺すなんていう事件もありますが、何十年も親と暮らしていたら殺したくもなるというもので、危険極まりない。
それゆえ成人しているのに親と子が同居している、つまり子が家を出ないのは異常なのであり、その異常に世間はもっと深刻になるべきでしょう。
子が巣立たないのは、殺人までいかなくても健全とは言えない気持ち悪さがあるもので、結婚するしない以前に親元は離れるのが正しい。
できれば親の面倒なんて看ないのがよろしく、親は親で自分の死を迎え、子はその最小限の手間をかけるだけで済むようにするのがいいです。
依存し合うのがよくないので、親子は赤の他人くらいの関係がいいでしょう。
夫婦だって子が巣立てば、お互いが好き勝手やっているのがよく、だって子供がいなくなれば夫婦でやることなんてないからです。
介護が必要になっても、結婚相手がやらねばならないという決まりはなく、他の誰かにやってもらっても構いません。
なんて言いつつ、わたしはまだ若いので相手の介護なんてまだまだ先の話ですが、もし相手が要介護になったら、わたしは彼女を介護するでしょうね。
なぜなら、間違いなく自分の人生で一番世話になっているのが「あいつ」なわけで、それはしっかりと認めているからぼろ雑巾のようになろうとも介護はします。
それも毎日一緒に過ごしていないからそう思えるに違いなく、もし毎日顔を合わせていたら84歳の殺人のような鬱積が溜まり、介護なんてやる気も起こらないでしょうから。
日々の恨み辛みが溜まらないようにするには、ほどよく別居するのがいい。
しかし、わたしのほうが先に要介護になったときは、相手はどうするかは知りません。してほしいという願いもしてくれるだろうという期待もわたしは持たないようにしています。
88歳になって殴り殺されても嫌だし、それに今のところは、奥日光の自然の中でひとりで死んだら素敵だなって思っているので、死にそうな年齢になったら奥日光にあばら家でも建てて過ごすことにします。