結月でございます。
新年好!
と、中国では今日がお正月。春節ですね。
そんなわけで中国からWechatであけおめメッセージが届いたりして返事はするんですが、如何せん、日本はそんなお正月気分がないので向こうの熱すぎる喜びとは正直温度差があって、わたしはゴージャスな料理なんて作らず、今朝は他人丼を作って他人でない2歳児のシャンシャンと食べました。
昨日、NTTの工事でようやく光回線が開通。ついでに御徒町のときは建物に光が通ってなかったために使えなかった光電話も使えるようになり、久しぶりに固定電話が結美堂に復活しました。
そんなわけでホームページの連絡先や住所を更新したりしつつ、いずれにせよ今までの東京スタイルとは業務が変わっているので内容を新しくしなくてはなのです。
とは言いつつも、
「さてさて、これからどういう風にやろうかな」
なんて、あまりにも急すぎる移転で何も決まっていなくて、
「どーすっかなー」
という感じ。
それでいて日曜の出張レッスンではずっと来てくれている生徒さんたちも来てくれているので日曜日は待ち遠しいわけです。
Wi-Fiが通ったので、動画の編集もやって投稿しようと思っております。着付けと着物の染め現場のものね。
今までずっとあったものがいきなりなくなったので、Wi-Fiですらやっとコンディションが整ってきたと思える大事なもの。
そして、結構長い間ご無沙汰してた音楽も今日、オーディオの接続をしてCDを聴けるようにした。
それはどういうわけだかシューマンの交響曲が聴きたくなったからで、「さあ」と再生ボタンを押すと、
「うん、これこれ」
なんて思いつつ、すぐに、
「うるせー音楽だな」
って感じだして、
「これって年取ったら天ぷらとか油物が苦手になる現象と同じ?」
なんて思いながら停止ボタンは押さずに一応、聴いている。でも、やかましいね、シューマンは。
昔はやかましいなんて思わなかったのにね。
いやいや、チャイコフスキーはかなり昔からうるさいだけの音楽に聞こえていて、シューマンもわたしの中でチャイコ化が進んでる?
まあ、シューマンはチャイコフスキーほどコテコテ、ドロドロ、大げさじゃないけどやっぱロマン派なんだよね。
山登りして、空と大地と山しかないような風景に感激するようになってロマン派はウザいって思うのも自然かな。
なんて結局CDをバッハの「フーガの技法」に取り替える。
さて、栃木に移転して失ったものもあれば、得たものもある。
得たものはやはり愛娘シャンシャンとずっといられる時間で、そのために栃木にきたわけだしね。
しかし土日は保育園が休みで一日中面倒を看ていて、さあ月曜は保育園だから猫と過ごしながら仕事しよ!と思ったら保育園から午前中に電話がかかってきて、
「シャンシャンちゃんが40度の熱が出ているので迎えに来てください」
とのこと。
迎えに行くと、別室でぐったりとしたシャンシャンで、そのまま病院へ連れていくと、
「午前の診療は終わりました」
なんて言われる。
そして、午後にはNTTの工事が来るし、とりあえず家で寝かせつつ、NTTの工事を済ませ、夕刻に病院へ。
インフルエンザの検査は陰性で、とりあえず薬をもらうも、すでにシャンシャンは元気になっている。
一応、翌日の今日も大事を取って保育園は休みにしたわけで、失ったものは自分ひとりだけの時間かな。いや、失ったというか、少なくなった。
とりわけそれは不満ではなく、シャンシャンといる時間は楽しいのだけれど、いやいやこれって普通のサラリーマン家庭だと大変だわ、なんて他人事のように思う。
少子化の原因はよくわかる。普通のサラリーマン家庭だと、育児をするのってかなりの無理がある。わたしみたいに自分で仕事をしているとまだ時間をやりくりできるけれど、勤め人じゃ今の時代、無理でしょ。
わたしはケ・セラ・セラで生きてるし、自分に降りかかる現象には深追いはしないようにしてるので大したストレスはないのだけれど、普通はやってられなくなるんじゃないかな。
そうなると夫婦関係や親子関係がどこかで破綻する。だから離婚や引きこもりが多いのかもしれない。
でも育児のおかげで自分だけの時間が少なくなり、そのおかげで今までよりも短時間での集中力はアップした。東京にいるときは自由すぎて締まりがないときもあったけれど、今のほうがシビアになれているね。
やろうと思えばどうにでもなるもので、自分の置かれた状況を受け入れて、それに対してどうこう愚痴らず、サラサラとドライにやっていけばどうってことない。
愚痴は改善には結びつかないものなのだから、そういうものには時間は使わないっていうのがいいと思うよ。
そう。成果に関係ないことには時間を使うな、だね。