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過ぎ去ったものに興味がない

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結月でございます。

今日は朝、愛娘を保育園にクルマで送り、そのまま引越しの片付け作業。ようやくのことで本が全部片付いたのだけれど、作業をやりながらウンザリ感がたっぷりだったのは、必要がないとわかっている本を整理整頓している自分に対して。

もう死ぬまで読み返すことはないとわかっているものをどうして書棚に納めなければならないのか?

と、本というのは一度読んだら「用済み」なもの。

今まで読んだ小説の中でこれはもう越えられないなって思ったロベルト・ボラーニョの『2666』でさえ、二度目は読んでない。

そしてウンザリ感のもう一つの理由は、その本の数々が自分の過去を物語っているからで、過去の自分がその時何を思ってその本を買って読んだとか、その時の状況など自分の履歴が湧き上がってくることに耐えられない。

過ぎ去ったことには興味がないのに自分が読んできた本を整理していると、興味がないのに無理やり見せつけられるようで、これがどうにもよろしくない気分にさせている。

引っ越すときにも処分をしたけれど、もっと思い切ってやっておけばよかったとも思う。

ともかく、過ぎ去ったものは戻ってくるわけもなし、戻ってくる意味もなし、自分の中で消化されて、どこか見えない想念の「血」みたいになっていればいい。だからそれらを物質的に保存することにはほとんど意味がない。

同じく今度は結月ビデオライブラリーのDVD部門があって、VHSはすでに片付けたけれど、DVDがまだ。

映画は本と違って見直すことが多々あるものなので、本ほどのウンザリ感はない。

それが終われば、仕事部屋にするつもりの小さな和室が使えるようになり、明日にはWi-Fiを接続できそう。

今月中には決算の書類をまとめて計算し、それを会計士に渡すという一年の中でもっともガッデム!な仕事があり、いやいやそれって仕事なのかな?

だって、税金を払うための書類作成を時間を使って、金まで払ってやるんだから、仕事じゃない。だって仕事って生産して販売することをいうのだから。

それは社会の必要悪に違いなく、自由思考なわたしは思わず無政府主義を唱えたくなりつつも、無政府主義を貫くよりも面倒だけれど金払って処理したほうが実はつまらない信念よりは面倒でないという理屈があるので仕方なしにやってる。

それ以外にも4月の最初の土日で予定している「結美堂・春のキモノ会 日光女子旅&厄祓い」があり、その準備をもう始めないとボケっとしていると間に合わない。

宿泊先と交渉し、着替える場所も確保しなければならない。

このキモノ会は日光の着物を着たら最高のシチュエーションで楽しむもので、わたしはドライバー兼カメラマン、さらに着付け師としてみんなの着物姿をサポートする。

このキモノ会のためにすでに何人かの方が着物を誂えてくれていて、やはりこうしたとっておきの機会にスペシャルな着物を着てほしい。

だから、仕立ての期間を考えると、遅くとも2月下旬には着物を誂えないと間に合わないよ。

と、そんな告知もしたいけれど、まずは片付け。そして決算処理の合間に告知の情報を作ります。

募集人数は10人乗りのハイエースで収まるくらいかいいかと思っています。

もし10人を超えそうならプラス乗用車を考えつつ、ただ参加者は日光で着物に着替えるので背中にお太鼓があったら運転できない都合、う〜ん、どうするかな。

なので、10人限定にするかもしれません。

当初は貸切バスで盛大に行こうと思って、バス会社に見積もりを出してもらったらスゲー高くて、参加費がベラボーになりそうだからやめにしたんです。

と、そんな事情もあり10人限定、でもわたし含めてだから9人ってことになる?

まあ、どうするかは参加状況を見て考えましょう。でも基本、結美堂で着物を誂えてくれた人が優先です。

ところで先日、京都へ行って、京都も悪くないなって思った。

子供の頃から慣れているからトキメキはないんだけれど、大人になって、そして着物の仕事を始めた今になってわかる「良さ」ってあるから。

錦市場を歩いても、子供の頃は煩雑で、ダサいし、うまそうなものないしって憂鬱に思っていたけれど、大人目線で見ると、

「鯉の煮込みがおいしそう」

とか思っていたり、京都ならではの独自の文化も京都を離れることによってわかってくる。

工房で着物を見ても、やっぱ京都だなって思うわけで、わたしが着物の仕事を突然始めてしまったのも自分では把握していないルーツってものがあるんだなって思った。

過ぎ去ったものには興味がないと言ったけれど、今の自分を作っているルーツがたった一冊の本にもあるのは事実だし、ただ漠然と歩いていた京都の記憶も無意識のうちにそれが着物の仕事を始めさせる要因になっているに違いない。

京都に再び住みたいとは全く思わないとはいえ、自分なりのルーツから派生している着物の仕事で、自分が得てきたものを着物美として関わり、着物がほしい、着物が着たいって人に仕事で関われればやっぱいいよね。

わたしは昔は、

「美しいものにしか興味がない」

だったのが、今は、

「美しくないものには興味がない」

っていうように変わりました。

この変化って同じようで大きく異なるんじゃないかな。

というわけで、4月の着物女子旅は結美堂着物で日光が自然美に加えて、着物美で美しくなります。

また毎度のごとく、観光客にバシャバシャと写真を撮られちゃうね。

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