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着物とは都会的なもの

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結月でございます。

「着物っていうのはね、都会的なものなんですよ」

これ、わたしがよく言うことです。

着物と一口に言っても、いろんな種類があって、京友禅、加賀友禅、紬もあれば麻の着物もある。

厳密に言えば、結美堂で扱う着物は京都の京友禅、そして西陣織の帯で、やっぱり都会的なものなのです。

例えば、結城紬は年末に結美堂が移転する場所に大変近く、栃木とか茨城とか、まああの辺り。作っているのは田舎で、都会ではないですね。

でも、京友禅は京都というかつての都で作られているもので、あのような色鮮やかな色彩もそれは都会的だからああいう発展をしたわけです。田舎だと、あんな色彩や豪華な図案は求められることはないです。

茶道にしたって、都市文化だろうし、そこにどういう着物が求められるかというとやっぱり田舎っぽい着物ではないんですね。

今は着物を着ること自体が特別なことなので、紬でも綿でも着るとお出かけモードになりますが、都会的に洗練されたものは京友禅です。

それに張り切って着物を着て出かけようという動機は都会的です。田舎で畦道があったり、人が少なく、華やかな舞台がないところでは訪問着なんで着ようと思わないし、着ていると変に見えますから。

ところが都会だと展覧会はどこでもやってるし、コンサートで海外から素晴らしいオーケストラが来るのも珍しくなく、洒落た飲食店もバーも、そしてイベントとしてのパーティーもよくあります。着物の出番は多いですよ。

だから、「着物っていうのはね、都会的なものなんですよ」

大昔の普段着としての着物ではなく、京友禅は都市文化の賜物です。

さて、そんな都市文化の仕事をしてきたわたしが年末には栃木に移転することになり、東京の街を眺めてちょっと未練がましい気分になったりします。

どうしても都会が好きだし、雑踏が好きだし、賑やかが好きだし、そういう気持ちがあるとやっぱり離れることに未練がある。

子供のためとは言っても、複雑な心境。

そんな心境にデジャ-ヴュがあって思い返してみると、それは昔、フランスのリヨンにいて、いよいよ帰国しなければならないときの気持ちと似ていることがわかりました。

あの頃、日本には帰りたくなくて、ずっとフランスにいたかった。でも大学のこともあるし、帰らなければならない。そんな帰国の1週間前は本当の今の気持ちに似ていて、離れたくないんだけどなって思いながら、夜のリヨンの街をとぼとぼ歩きながら、その街並みを眺めていました。

しかしながら、栃木はどういうわけかわたしに肌が合うというか心地いいんですね。とても住みやすいと思う。

愛娘を通わせた保育園もすごくしっかりしていて何の不満もないどころか、預けてよかったと思っている。

ただわたしの心の根底を作っている都市文化がないところに戸惑ってしまって、やっぱり寂しいわけで。

現実は仕事をしつつ、子供の面倒を看ていると寂しいなんて言う暇はないのかもしれないけれど。

でもよく考えれば、東京には長くいて、今まで過ごした都市の中でも一番長くいる。出身地よりも長いから、東京人ですよ。

と同時に、すでに東京に飽きている。

都会的な遊びなんてまったくやらないし、コンサートに行かなければ、展覧会も行かない。もうやることやったなって。

わたしが一番住みたいのは奥日光。日光でなく奥日光ね。でも奥日光は住むところがほとんどない。戦場ヶ原あたりに住めれば最高だと思う。

あとはパリだね。都会ならパリがいい。

そんな将来的な願望を持ちつつ、とりあえずこれから栃木に住むことになり、これまでのような都会的な仕事というわけにもいかないだろうから、ぼちぼちと模索しつつ、夜中は小説でも書きたいなってね。

ひとつ書き進めているものがあるけれど、どうも東京じゃ思うように進まず、栃木で静かに書いたほうが捗る気がする。あとは奥日光を舞台にした超現象を描いたものも何年か前に途中まで書いて放ったらかしにしているのがあるから、それも書き直してもいいかなって。

そういう創作には栃木はいいとは思ってるんですよ。だって、東京には飽きてるから、どうもフレッシュになれなくて。

昔みたいにギラギラしているところが少なくなって、ゆっくりと静かに書きたいものを書くっていう年頃になったのかな?

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